二本松城           


見学日 2002年10月26日 歴史探偵倶楽部
所在地 福島県二本松市

 二本松城は、南北朝時代に足利氏の奥州探題であった畠山氏が築いた平山城である。畠山氏は戦国時代、
伊達政宗と争う。和議のお礼に政宗の父の輝宗の館へ行った畠山義継は、突然輝胸を拉致して二本松城へ向
かう。政宗は阿賀野川河畔で追いつき、父もろとも射殺したと云われる。
 幕末の二本松藩は、木村銃太郎率いる二本松少年隊が有名である。わずか13・14歳の少年隊が大壇口の
戦場で、木村銃太郎の的確な指揮により西軍を悩ませるが、木村少年も銃弾に打たれ負傷する。傷は重く、木
村隊長の言いつけは、自分の首を落とすことであった。少年達はやむなく木村隊長の首を落とし、城へ帰陣する。
しかし、その城も落城してしまうのである。
現在の二本松城は、菊人形でも有名である。

 本丸はこのように石垣で出来ている。写真は南側の石垣である。建
物はないが、北側には石垣の天守台がある。修築がおこなわれてい
るために、石垣はとても新しく見えた。後何年かすればこの石垣も馴
染んで、不自然さが無くなるのだろうと思う。
 戦国時代の末に、二本松が会津の支城となった際に、蒲生氏郷に
使えた穴の太衆によって築かれたという、もっとも古い石垣の一つで
ある。南側の三の丸の上にそびえる。他の石垣と比べると、傾斜が
緩いのが分かります。
 復元されている箕輪門を城の内側から見る。
 城の麓にある二階櫓(上の箕輪門の隣にある)から続く、石垣と
銃眼付きの塀。
 二本松少年隊の像。大砲の後ろで立って指揮をしているのが、木
村銃太郎隊長(当時22歳)である。木村銃太郎は江川塾で、洋式の
兵学を学んだと云われる。戊辰戦争では少年隊を率いて的確な指
揮をして西軍を悩ますが、惜しくも戦死してしまいます。

参考 「二本松少年隊」星亮一著 成美文庫
    現地説明板等、講師説明等


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