(相馬)中村城


見学日 2003年12月7日 歴史探偵クラブ(講師は外川淳氏)のツアーに参加。
所在地 福島県相馬市中村

 相馬中村城は、戦国時代は東北の雄伊達家と争った相馬氏の本城です。奥州相馬氏は、下総相馬御厨の出身で、下総の大豪族千葉氏の一族千葉師常を祖とします。南北朝時代の1336年に、小高城を築いてそこへ移ります。相馬氏の本城は、その後小高城でしたが、室町時代後半に中村は支城として城代が置かれた。
関ヶ原後の1611年、相馬氏は本城を小高城から中村城に移します。中村城の位置は、領内の北に偏ったところにありますが、伊達氏に対する備えがその理由だと思われます。
 城跡は、相馬市内の中心地に位置しますが、その割には遺構は大変良く残っています。


 写真は、東三の丸の土塁と堀です。東三の丸は、通称御厩と呼ばれた。馬屋(厩)が南二の丸から移され、御厩別当、馬場氏が代々住んでいたところです。
写真は外大手一の門から、見たところで、外大手一の門は、川越城の城門を模して1649年に造られたと言われます。
現在、東三の丸内(土塁の内側)は、駐車場になっています。
 東二の丸と本丸(左側)を結ぶ赤橋です。東二の丸には、1783年頃までは御殿があり、藩主の私邸となっていました。赤橋の入り口(東二の丸側)は、丸土張りと言われる馬出になっています。丸土張りと言われるのですが、形は丸形ではなく、コの字型(長方形)をしています。
 右側は本丸の後門になります。写真に見えるのは、後門から出たところにある黒橋です。本丸西南には三重の天守閣が建っていましたが、1670年の落雷により消滅しました。現在本丸には、相馬神社が建っています。黒橋を降りたところは、西二の丸になっています。
 西二の丸から南二の丸(手前)へでる虎口で枡形になって守りを固めています。南二の丸は通称、長友(ながとも)と云われ、重臣の屋敷がありました。
現在は、サッカー場になっています。
 西二の丸の南西部にある妙見曲輪。藩主相馬氏の氏神である「妙見」を祀ったところを妙見曲輪と云い、相馬氏の居城には必ず造られました。この妙見社は、1643年に建てられた相馬地方最古の神社建築で、国指定重要文化財となっています。
 妙見とは、妙見菩醍の略で北極星を神格化したものといわれ,国土を守護し,災厄を除き,福寿を増益するという菩醍で、同じ一族である下総千葉氏も妙見信仰があります。


参考 「ふくしまの城」(鈴木啓著 歴史春秋社 2002年9月28日)
    現地説明板等(特に県指定史蹟「中村城跡」案内図A3版)


城の目次へもどる