白石城       

見学日 2003年8月23日 単独
所在地 宮城県白石市


 白石城には、伊達政宗の幼少から使えた股肱の臣片倉小十郎景綱が入り、伊達領の南を守っていた。白石城は一国一城令の例外であり、仙台伊達家の家臣である片倉家の城である。片倉家は1万8千石とはいえ陪臣であるため本来なら城など持てないはずであるが、本家の仙台にもない天守閣(遠慮したためか大櫓や御三階と読んでいた)のある城を持てたのは不思議である。
なお、二代目の片倉重長は大坂の陣の際に真田幸村から娘を頼まれ、正室が亡くなった後には妻とした。
 白石城には白石歴史探訪ミュージアムがあり、そこでは立体映像「鬼小十郎帰るに及ばず」(大坂夏の陣秘話)を見ることが出来ます。
また、城の隣には片倉家の旧小関家の武家屋敷があります(私は時間の関係で見ることが出来ませんでしたが・・・)。

 写真手前の小さな門は本丸大手一之門、後ろに見える大きな櫓門が本丸大手二之門です。一の門から侵入した敵を、二之門を含めた枡形で囲み、進入した敵を3方から攻撃するようになっている。
 鐘堂です。発掘調査の結果によると、御三階の東側(現在地)に立っていたそうです。元の鐘は1466年に鋳造されて東昌寺にあったものですが、何時の頃か白石城に移り、非常の時に鳴らされていたそうです。明治3年の白石城の払い下げの時には、傳来寺へ渡り今もそこにあります。(説明板より)
 白石城では天守に当たる櫓を大櫓(おおやぐら)と云います。片倉家の日記等でも天守とは書いていない。しかしながらその大きさは、土佐藩24万石の高知城に匹敵する大きさである。大名の城ではなく、大名の家臣の城故に天守という名称を使わなかったと思われます。それにしては、本家(仙台)にもないものを良く造ったものです。
写真の天守閣は平成7年に、発掘調査を行い本格的な木造で再建されたものである。城の入口を入ると、中にいた人が色々説明をしてくれました。
 天守三階から見た、左が大手一の門と大手二之門。右側手前が鐘堂です。幕末には白石城が会津侵攻の拠点になったが、後にはこの城で奥羽列藩同盟の旗が掲げられた。この右側には表御殿などの建物群があったところです。

 参考 「よみがえる白石城」 我妻・平井・八木共著 碧水社発行 2001年11月3日
     現地説明板等


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