新庄城  


私が高校時代まで過ごした山形県新庄市の城です。8月24日〜26日には毎年新庄祭りが行われますが、なかなか見事なお祭りです。
所在地 山形県新庄市堀端町

 新庄市は、戸沢氏6万8千石の城下町です。
私が通った小学・中学・高校は、当時はいずれもこの城の内堀を道路越しにはさんで囲む形でありました。そのため、自宅から歩いて10分のこの城には数え切れないくらい行きました。城跡は現在最上公園となっていますが、子供の頃、この城の土手で遊んでいて土手を掘ったところ、戸沢家の紋の入った瓦の欠片が何枚か出てきました。
 幕末新庄の戸沢藩は、奥羽列藩同盟に加盟しますが、秋田の佐竹藩に続いて加盟から抜けます。どの藩も朝廷派と幕府派に別れて、意見の対立があったことでしょう。そのために庄内藩が白河口に向かわせた一番大隊・二番大隊を新庄藩への攻撃のために呼び戻します。7月13日舟形の小国川を挟んでの攻防が始まります。政府軍は新庄兵の他、薩摩・佐賀藩の兵がいましたが、側面攻撃を受け退却します。翌7月14日、庄内一番大隊は羽州街道を進み、二番大隊は西側を廻り側面攻撃をします。羽州街道はなかなか突破出来ませんでしたが、二番大隊の側面攻撃が効果を上げ、城下に突入します。城を枕に城方の抵抗が考えられますが、不思議なことに大手門には「開城」と書かれた紙が貼ってあり立て籠もる人は殆どいなかったそうです。城も町も焼け藩主等は秋田へ逃れます。
 なお城跡の隣にある郷土博物館には、お城の模型や絵図などがあります。

 写真手前は最上公園の正面入口と内堀です。郷土博物館に展示されている昔の絵図では、橋はもう少し左側にあったようです。石垣が見えるが正面の表御門の石垣で、同じような大きさの石垣が2つあります。私の子供の頃に、石が崩れ落ちないようにとコンクリートで固めました。以前はそこに良く登って遊びました。
 写真は、本丸の土塁を内側から見たものです。
子供時代は、冬になるとこの土塁は小さなスキー場に早変わりしました。
 内堀と本丸土塁を外側から見たものです。
本丸の城跡の中には、神社があり、毎年1月1日の午前0時には、初詣の人で賑わいました。
初詣と云えば、雪に覆われたこの場所を思い出します。
昔から大変市民に親しまれている公園です。

 参考 「秋田・庄内戊辰戦争」(郡義武著 新人物往来社)、現地説明板等


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