米沢城           


見学日 2002年10月27日 歴史探偵倶楽部、その他も有り4回ほど行っています。
所在地 山形県米沢市

 米沢城は、鎌倉時代に大江氏が築いたと云われる。その後室町時代に伊達氏に滅ぼされ、以後は伊達氏の居城となります。有名な独眼流伊達政宗もこの城で生まれています。伊達氏の後は、蒲生氏、上杉氏が入る(蒲生氏、上杉氏共に本城は、黒川と呼ばれた会津若松です)。関ヶ原後には、上杉氏は会津・庄内などを没収され、米沢が本城となる。この際に、上杉景勝は直江兼続に城の拡張と修理を命じている。上杉氏は、関ヶ原後に120万石から30万石に大減封されが、家臣は出来る限り減らさなかった。そのため極端に財政が悪化し、為に石垣も天守閣もない質素な城となったと云われます。このために当時の米沢の人口は、武士の比率が大変高い町でした。
この財政悪化は、その後も長く続き、8代藩主の際には困窮に窮し幕府へ米沢藩15万石を返上しようとしたほどです。この財政難は、有名な上杉鷹山の長年の藩政改革により、藩財政を立て直すことが出来ました。

 米沢城の本丸と土塁。桜の時期は桜が見事に咲きます。直江兼続は、上杉家が30万石と激減した後も、武力の維持に力を注いだ。その為に上方から鉄砲職人を呼び、鉄砲の製造をおこない武力の質の向上を図った。
 戦国の名将、上杉謙信の像です。米沢に行った際に残念なことは、上杉謙信の注目度が低いように思われることです。謙信グッズや謙信関係の本なども探しましたが、あまり見かけることはなかった。
城内にある「稽照殿」は、謙信・景勝等の大変貴重な遺品が多数展示されていますので、謙信・景勝・直江好きには必見の所です。
 二の丸はホンの一部分が残っているが、ここが二の丸の水堀である。
 旧上杉家の住宅とされていた、上杉記念館の入口である。大正14年に再建されたもの。江戸時代の米沢は、東北では仙台に次いで2番目の人口を有する町であった。建物の内部の見学が出来るほか、ここで食事が食べられます。
 米沢市内にある、上杉家歴代当主の廟所。6・7年位前に行った時には、非常に傷んでいたが今回は修理されていたようである。米沢は積雪も多いので、建物の維持は大変だと思いますが・・・・。

 参考 現地説明板等、講師の説明等
     「日本の名城・古城もの知り事典」(小和田哲男監修 主婦と生活社)


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