稲村城

訪問日 2006年9月3日  2011年にかけ何度か行っています。2012年に、里見城跡として、この稲村城と岡本城が国指定遺跡となりました。
所在地 館山市稲字城山

 前期里見氏の本城でした。房総の戦国大名は、前期里見氏と後期里見氏に分けられます。これまでの通説では、初代の里見義通がなくなる際に、自分の子の義豊がまだ幼いために弟の里見実尭に里見家を継がせ、義豊が大きくなったら家を継がせるように遺言したと言われます。しかし義豊が元服して大きくなってからも、実尭は里見家を継がせてくれませんでした。そのため、里見義豊はひそかに兵を集め、自分の叔父の里見実尭を攻めて殺し、里見家を継ぎます。実尭の子供の義尭は、造海城に逃れ、兵を挙げ里見義豊を攻め滅ぼし、自分が里見家を継ぎます。
 この通説に対して、現在は里見実尭は2代目を継いだことはなく2代目は嫡子の里見義豊が継いでいたが、里見実尭と正木道綱が結びつきややもすると里見氏から自立する気配が見えたので、里見義豊は稲村城へ里見実尭と正木道綱を招き、そこで殺害します。そのため、造海城へ逃れた里見義尭は小田原北条氏と結び兵を率いて里見義豊と争い勝利を収めます。そして里見3代目を継ぐことになります。里見宗家を滅ばして3代目を継いだため、自分の父を里見の2代目に作り上げたのだろうと考えられています。
 稲村城はこのように、甥(義豊)が叔父(実尭)を殺し、その後はいとこ同士(義豊・義尭)が殺しあった城のためでしょうか、その後は利用されませんでした。そのため、戦国前期の城跡が残る珍しい城郭になっています。

 稲村城へ上る、水往来と呼ばれるのぼり道にある石積みです。石積みの高さはそう高くありません。
 本丸の西側にある水往来と呼ばれる登り道です。水の通り道のように周りより低くなっています。
 本丸(手前側)へ入る虎口です。
本丸は、東側は山を崩して土塁を造り、西側はかなりの土盛りをおこない、60メートル×75メールの平地を造っています。
 本丸です。稲村城は、安房国の府中を抑える位置にあります。ここから安房の穀倉地帯が広がります。また、稲村城の下を流れる滝川を利用して館山湾の水上交通も利用できたようです。
 本丸西側の尾根道を登っていくと、途中に尾根道から少し入ったところに正木様といわれる祠があります。里見氏の一族に正木氏がいますが、今も城跡の近くに5軒の正木氏がいます。その先祖を祭っています。ここを抜けると、下にいくつかの帯郭が見えます。

参考 現地説明板等
    「すべてわかる戦国里見氏の歴史」(川名登編 国書刊行会)
    「図説 房総の城郭」(千葉城郭研究会編 国書刊行会)
    「房総里見氏」(NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム発行)600円
      「房総里見氏」は里見氏の概略と城の鳥瞰図が描かれていて、大変読みやすい本です。 

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