久留里城(雨城)

見学日 2004年9月19日 その他にも千葉県の城なので前を通った際に何度も寄ったりしています
所在地 君津市久留里・久留里市場 

 戦国期前半に真里谷の武田氏が、真里谷城の支城として久留里城を支配していたと云われます。しかし安房の里見氏が上総に進出してきて、1497年〜1540年頃までには里見氏の支配下になったようです。1540年頃の里見義堯の時代に、久留里城を修築して里見氏の本城とします。更にその勢力を拡大して、房総半島の大半を勢力圏とします。里見氏はまた有力な海軍力を持ち、東京湾を渡り鎌倉まで攻め上がったこともありました。
安房・上総を支配した里見氏は、下総まで勢力を広げ1538年と1564年と下総の国府台(市川市)で後北条氏と2度にわたって合戦を行いますが、いずれも敗れています。その為、久留里城は北条氏の攻撃を受けるようになるが、その度に撃退しています。
 豊臣秀吉の小田原攻めでは、里見氏は不都合があったとされ上総は没収されて、安房1国だけが安堵されます。里見氏は房総に影響力があるため、新たに関東に入った徳川家に非常に警戒されます。その為、1614年里見氏は伯耆の国の倉吉に転封されます。3万石という話であったのが、実際には米千俵という実質改易でした。
 その後、1742年に黒田氏が城主となり城を再建して、以後明治維新まで続きます。

 二の丸跡にある久留里城址資料館で、入場は無料です。ここの一階に久留里城の模型がありますので、それを見てから見学すると良いと思います。またここでは、久留里城のことを書いた「久留里城誌」を販売していますので、興味のある方は購入してみてください。値段1000円の割には、内容は立派で、お買い得です。また城の麓にある駐車場に建つ森林センター(正確な名前は忘れました)にも、郷土の歴史の本が置いてあります。

 久留里は水が美味しいところでも有名です。水の美味しいところは、造り酒屋があります。久留里にも美味しいお酒があります。
 二の丸近くの薬師曲輪跡から眺めたものです。家がある平地は近世城郭の三の丸になり、武家屋敷等があったところです。写真では分かりにくいのですが、小櫃川が三の丸前に流れていて、天然の堀の役目をしています。
 久留里城は別名雨城と云われていますが、これは敵に攻められると不思議と雨と雲が出てその姿を隠したことによるものだそうです。
 写真の看板があるところが、男井戸・女井戸の溜め井戸で、今も水があります。江戸時代、藩主の黒田直亨のころから藩士の結婚式に際して、新郎・新婦がこの水を飲み、夫婦の誓いをかわしたと云われています。
戦国時代の後期の久留里城は、里見義堯・里見義弘がこの城を里見氏の本城としたこともあり、新勝寺裏から怒田方面までの南北1800メートル、東西700メートルもの城域を持つ壮大な山城でした。
 江戸時代の黒田氏の頃の久留里城は、本丸と二の丸に二層櫓を構築したが、城としての機能は麓の三の丸に集中して築かれました。
 本丸にある復元天守閣です。コンクリート造りですが外観は当時の姿です。また天守閣は、当時は隣の天守台跡に建っていましたが、天守台を保存するために隣に建てられました。この天守閣は、黒田直純が城を再筑する際に築いたものです。天守台跡の発掘調査では、二重の礎石が見つかり、その大きさは江戸時代の絵図とほぼ一致しています。
本丸の周囲には、小高い帯状の土塁跡が残っています。

参考 「日本の名城・古城ものしり事典」(小和田哲男監修 主婦と生活社 2000年11月14日)
    「久留里城誌」(久留里城再建協力会編集・発行 昭和54年8月1日)
    「図説房総の城郭」(千葉城郭研究会編 国書刊行会 平成14年8月10日)
    現地説明板等 

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