本佐倉城

見学日 2006年12月31日 単独 見学した日は史跡の整備中で立ち入り禁止の場所もありました。2008年に行った時にも、まだ整備中の所もありました。10回ほど行っています。
所在地 印旛郡酒々井町本佐倉字城ノ内、電車では京成線おおさくら駅から徒歩20分です。

 関東が鎌倉公方方と関東管領上杉方に分かれて争うと、房総の名門千葉氏も一族家臣の間で2つに分かれて争うことになります。1455年千葉宗家の本拠千葉城が、重臣原氏の攻撃より落城し、千葉宗家は滅びます。この後は原氏の支持を得た馬加(まくわり)系千葉氏が千葉宗家を継ぎます。
1484年、馬加(まくわり)系千葉氏の千葉孝胤がこの地に城を築きました。以来1590年の豊臣秀吉の小田原攻めにより、千葉氏が小田原北条氏と共に滅ぼされるまで戦国千葉氏の本城でした。現在の佐倉はその後に出来た町なので、こちらは本佐倉と言われているそうです。
 なお、本佐倉城は千葉県下では唯一の国指定の城跡で、史跡整備が進められています。
本佐倉城の戦国時代を復元した図は、「戦国の堅城U」(学習研究社)のP78〜79に載っていますので参考にしてください。

  京成線のおおさくら駅から歩いて、15分くらいで本佐倉城の案内が見えてきました。なお、おおさくら駅前には、周辺の地図がありました。ここから城の中心部までは、まだ大分距離があります。この辺りも城の一部のようですが、遺構はよく分かりませんでした。
 写真は四郭の倉庫跡です。東の馬場から入ってくると、本丸を左手に見て、四郭、三郭が階段状にあります。
 写真は二郭です。この写真では分かりにくいのですが、回りには土塁が巡っていました。主郭、二郭、三郭には、発掘調査により建物があったことが確認されています。
 写真の手前が三郭で、堀をはさんで見えるのが七郭です。この2つの郭間の空堀もかなりの規模のものです。写真でも木が切り取られ、整備中なのが分かると思います。この七郭には、セッテイ山と呼ばれる一段高い場所があります。
 写真は前の写真とは反対に、七郭から見た三郭です。空堀はかなりの深さがあり、三郭の高さが良く分かると思います。
 本丸と二郭の間の空堀です。左側が本丸。右側が二郭です。公園として整備中なので空堀は立ち入り禁止でした。ただし二郭に上ると、空堀と本丸の一部は見えます。
 八郭(荒上・直臣屋敷群)の南側土塁です。中央の段差があるところは、虎口だったところと思われます。空堀の中の土橋になっています。そこから歩いて十郭(根小屋)へ出ることが出来ます。この間の空堀は良く残っていますが、未整備の状態です。
 九郭(向根小屋)の北西端にある見張り台の跡だと思われます。南側からこの郭へ入ると、馬出と空堀、九郭の回りの空堀が分かります。

参考「千葉氏探訪」(鈴木左編集 千葉日報社 2002年3月15日)2300円
   「戦国の堅城U」(中井均ほか執筆 学習研究社 2006年1月10日)1900円
   「図説 房総の城郭」(千葉城郭研究会編 国書刊行会 平成14年8月10日)2800円 

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