坂田城

見学日 2006年2月4日 歴史探偵クラブのツアーに参加。2001年にも行きましたが、今回の方がよく整備されていました。
所在地 千葉県横芝町坂田
城跡には遊歩道があり見学しやすくなっています。
     最寄り駅はJR横芝駅。近くに「ふれあい坂田池公園」があり、駐車場もあります。

 

 坂田城は伝承によると、14世紀の中ごろ千葉氏によって築かれたと言われます。その後千葉氏の重臣である三谷氏の居城となりますが、1555年以降三谷氏の内紛に乗じた井田友胤が三谷氏を討ち、芝山町小池にある大台城から坂田城に入ったと云われます。ただしこの坂田城が、現在の坂田城と同じものかどうかは不明です。仮に同じところの城としても、規模はもっと小さなものだったと思われます。
この井田氏も千葉氏に仕えますが、小田原北条氏の被官でもありました。この坂田城は、安房の戦国大名里見氏に備えるためのものでもありました。この井田氏は300騎を擁する上総の戦国土豪です。1騎につきが従者2〜3人程度つきますので、約1000名の兵士を抱えていたと思われます。しかし、この坂田城の規模は井田氏の勢力から見るとあまりにも巨大過ぎることから、井田氏以外の北条方の武士団が集結する拠点として造られたと考えられます(現地説明板より)。
 この坂田城は、1590年4月の豊臣秀吉の小田原北条攻めの際に、北条方であったために落城したと云われます。

 写真は、四郭の西側に残る土塁跡です。
この郭は、長さ約300メートル幅180メートルと大変広いものです。現在は畑となっています。
坂田城は、半島状に伸びている台地の上に築かれています。
 写真は四郭と三郭の間の堀です。
四郭から三郭へ入る虎口(小口)は、左右から横矢攻撃を受ける相横矢となって守りを固めています。
 写真は三郭から二郭へ入る入る小口です。
幅の狭い土橋になってやはり守りを固めています。この土橋を渡る際にも、横矢で攻撃が出来るようになっています。三郭には、主郭や二郭に面する南側には、土塁はありませんが(写真の土橋の向こう側です)、他の方向に面するところには土塁があります。これは、たとえ三郭が敵の手に落ちた場合には、城の中心部である主郭や二郭からの攻撃をし易くするためのものです。同じようなことは、二郭にもいえます。
 写真は、二郭から主格へ入る土橋です。両側の空堀が深いのが分かります。
ここでも、細い土橋を渡る敵を、左右からの横矢攻撃が出来る相横矢造りになっています。主郭には、土塁が廻らされていています。
 写真は、主郭西側の土塁(右側の盛り上がったところ)を見たものです。左側の平坦部は、帯郭です。こちらから城の外へ出ることが出来るので、搦手だったのでしょうか?

参考 「図説 房総の城郭」(千葉城郭研究会編 国書刊行会)
    現地説明板等
    歴史探偵クラブの配布資料と外川淳講師の説明 

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