佐貫城            


見学日 2001年12月1日 友人とほか 以下の他にも8度位行きました。
     2003年12月13日 富津公民館 文化財探訪講座 講師は松本勝氏(財)君津郡市文化財センター
所在地 千葉県富津市佐貫

 武田氏が築城したのが始まりで、1551年頃には小田原北条氏が支配するが、その後に里見氏の城となる。特に里見義弘の時には、里見氏の本城となり、本城にふさわしく拡大・拡充されたようです。その後徳川家康が江戸入封してからは、内藤家長が3万石で佐貫城主になる。その際に城は近世城郭へと、改修をおこなった。国道127号から入ると、曲がり角から大手門辺りまでは今でも城下町の雰囲気を残しています。
 佐貫城の広さは、小和田谷から黒部谷にかけてある城とされていたが、数年前の探査によると、その東側や南側にも城域があり、かつて云われていた広さを大きく上回る城であることが分かりました。その広さは、上総では久留里城に次ぐ巨大なものです。

 佐貫城の入口で大手門。その直ぐ上は三の丸で江戸時代にはここに政庁があり、こちらが城の中心になっていた。三の丸は、平地が段々畑のように三段の高さに別れていたようです。
写真では、分かりにくいが大手門は石が組まれています。1998年に訪れた時には、雑草が生い茂っていましたが、この時(2001年)には三の丸の一部(3段になってところの初段の部分)は草が刈り取られていました。地元の方の団体が、整備してくれているそうです。

 三の丸から二の丸へ向かうところは、堀切になっています。
 写真は二の丸ですが、整備がされていないので、木が生い茂っています。ただし三の丸から本丸までの通路は、草などが刈られ整備してあります。この通路は、二の丸方向の左側は急斜面で、反対の右方向は崖になっています。この通路を通る者に対しては、二の丸から側面攻撃が出来るようになっていると思われます。
 佐貫城遠望ですが、こちら側まで城の領域だったようです。写真は、本丸方向の東側から見たところです。
 二の丸から本丸へ向かうところの土橋。写真では分かりにくいですが、両側は空堀になっています。この空堀は、かなり広く両側の空堀とも、屈曲しています。
2001年12月の時には、左側の空堀の底を歩きましたが、藪木が多く途中で引き返しました。2006年4月に行った時には、整備されていて堀底が良く見えました。本丸は二の丸より一段高くなっていて、二の丸方向には土塁が残っています。
 本丸裏口の搦め手口の虎口には、5段位の石積みが残っています。講師の先生の話では、里見氏時代の可能性もあるかも知れないと云うことでした。

参考 現地説明板等
    2003年12月13日の講師松本勝氏の話及び9月6日の講座資料



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