東金城


見学日 2004年1月12日 単独 千葉県の城ですので7、8度は行っています。
所在地 東金市東金 電車の東金駅から城の入口までは徒歩約10分で行けます。

 東金城は酒井定隆によって、1521年に築かれ、1590年までの約70年間、東金酒井氏の居城でした。1509年、酒井定隆は第3子隆敏を連れて、土気城から田間城(東金市田間)を経て、東金城に移ったと云われます。この後は酒井氏は、土気と東金の2つに別れます。1538年の第一次国府台合戦(市川市)には、里見氏方として出陣しますが、戦いには間に合わずに参加していません。また、1564年の第2次国府台合戦の際にも、反北条氏側でしたが、その後は、北条氏に属します。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際には、東金酒井氏の当主政辰は北条方として、小田原城に入ります。小田原開城により、東金城は没収されます。
酒井定隆及び酒井氏については、土気城にも書いてありますので、そちらもお読み下さい。

 東金城跡への入口は、八鶴湖沿いに建つ東金高校と本漸寺の間の道を入ります。写真はその道を少し入ったところで、写真前方が入口方向です。左側に見える石碑は詩歌が詠まれていました。
 現在の東金高校は東金御殿跡です。九十九里から東金にかけて色々な雁・鴨・鶴等が集まっていたことから、徳川家康が狩猟地とし、1613年に東金御殿を建てました。
 石碑は御殿山神社奥院となっています。ここまでの道は、掃除も行われて良く整備されています。ここの位置がどの郭なのかかがよく分かりませんでした。ベンチなどもあり写真よりは広いのですが、それでも主郭とすれば、狭すぎるようですし、隣のよりも低い場所になっています。広さからすると、三郭になるのかも知れません。
 上の写真から更に道なりに進んでいくと、二郭になりますが、道なりに行き止まりのところ(二郭の南端)に、旧日本軍のトーチカがあります。写真はトーチカの内部を写したものです。写真のようにきれいになっていました。
しかし、上の写真の奥院を過ぎると、道は整備が悪くなり、二郭は全体が藪におおわれています。奥院が三郭だとすれば、主郭と二郭の間にあるはずの堀などが、よく分かりませんでした。
 二郭又は主郭から見た、帯曲輪跡(?)だと思います。曲輪の先は、本漸寺の墓地になっているようでした。写真では分かりにくいのですが、斜面が急で下には行けませんでしたので、残念ながら確認は出来ませんでした。帰る途中にも確認しようとしましたが、やはり道が分かりませんでした。
 写真は本漸寺本堂です。境内には、徳川家康が三河の国にから持ってきて自ら植えたと云われる蜜柑の木がありますが、現在の木は4代目になっているそうです。
また、境内には東金城主酒井氏の供養塔があります。大檀那酒井氏一類の供養塔となっています。

 参考 「図説 房総の城郭」(千葉城郭研究会編 図書刊行会)平成14年8月10日
     「房総の古城址めぐり」(府馬清著 有林書房)平成元年12月30日
     現地説明板等

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