臼井城

見学日 2006年11月23日その他にも7〜8度
所在地 千葉県佐倉市臼井

 臼井城は、千葉氏の一族臼井氏がこの地に住み、14世紀中頃の臼井興胤の代に臼井城の基礎が築かれました。現在の遺構は15世紀以降の戦国時代のものです。戦国時代後半には原氏が臼井城を本城として下総最大の勢力を持つ城主となりますが、原氏は小田原の北条氏に属していましたので、豊臣秀吉の小田原攻めで滅んでいます。その後は酒井氏3万石の居城となり、1604年まで使用されました。
臼井城は戦国時代に何度かの攻城戦を経験します。1479年には、太田道灌の弟太田資忠と千葉自胤の軍が臼井城を包囲します。その際に激しい攻防戦が行われ、臼井城はついに落城しますが、その際に寄せての大将太田資忠が戦死します。また、1566年には越後から関東へきた上杉謙信の攻撃を受け本城までに迫られますが、謙信の猛攻を跳ね返します。京成臼井駅の近くには、上杉謙信が陣を構えたと云われる謙信一夜城跡の公園があります。

 写真はT郭とU郭を結ぶ土橋です。T郭は写真奥の方です。土橋の上は現在はコンクリート舗装になっています。土橋で入口を狭くし防御しているのがよく分かると思います。臼井城は舌状台地上にあります。
 写真はT郭とU郭の間の堀です。当時はもう少し深さがあったと思います。土橋の両端はこのような堀でした。
 本丸の北側を見たところです。右側が本丸で、左側は急な斜面で本丸を防御しています。
臼井城は現在では住宅地・水田の中にありますが、当時は城下まで印旛沼があり、印旛沼の水上交通が重要な意味を持っていたと考えられます。
 やはり本丸を見たところです。本丸はかなり高低差があるのが分かると思います。平地の水田から本丸までの高さは、約20メートルあります。
 佐倉市王子台にある一夜城公園です。臼井城本丸から南南西に直線距離で約1.8キロの所にあります。京成臼井駅をはさんで反対側になります。上杉謙信が臼井城を攻めた際に本陣を一夜で築いたところからこの名前が付いたと言われています。上杉謙信は猛攻を加え堀一つ残すところまで攻め落城も時間の問題と思われたが、城内の必死の出撃により上杉軍はまさかの敗北を喫し多大の損害を出して退却することになったと言われます。

参考図書 「図説 房総の城郭」(千葉城郭研究会編 国書刊行会)
       現地説明板等
 

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