江戸城            

見学日 2001年5月他何度も行きましたが広いので全体はまだまだです。
所在地 東京都千代田区

 立派な城跡が残っているのに、それらがあまり知られていない城である。日本一の規模を持っているので東京近郊にいる方は是非一度城郭として見学してみてください。石垣の大きさや門とそれに伴う虎口の立派なことに驚くと思います。
 江戸城は、1456年に太田道灌が築いたことが知られていますが、それ以前に武蔵七党の一つの秩父党の江戸氏が館を造ったことが始まりです。江戸氏は鎌倉時代には幕府の重役を務め栄えますが、室町時代に衰え江戸を離れて武州喜多見に移ります。その後に現在の本丸の辺りに城を築いたのが太田道灌です。この時の江戸城は、規模も小さく石垣や瓦などは使用されていない粗末なものでした。しかし有名な「静勝軒」という三階建ての建物がありました。太田道灌は扇谷上杉氏の重臣として多くの戦に勝利しますが、主家扇谷上杉定正により暗殺されます。その後江戸城は上杉氏の城になりますが、1524年相模から武蔵に進出してきた後北条氏のものになります。後北条氏は江戸城を武蔵経営の拠点としています。1590年の小田原攻めのときにこの城も落城しその後は徳川氏の城になります。
徳川氏は1600年の関ヶ原の戦いの後、この城を天下普請によって大規模に拡張し、その規模は他の城郭がとても及ばない広大なものでした。

 写真は西の丸の大手門です。
ここには皇居正門となっており入ることは出来ませんが、ラッキーな方は衛兵(門番)の交代が見られます。私も一度しか見たことはありませんが、動きがとても綺麗で絵になります。交代した後は、まるで人形のようで全く動きません。
 和田倉橋と和田倉門の枡形跡(内枡形)です。城の入口ですので、巨石で出来ている石垣でしっかり防備されています。
 二の丸の隅に立つ巽櫓です。
江戸城の石垣の石は、多くは伊豆の下田・松崎や神奈川県の根府川や早川や真鶴から舟で運ばれたものです。
 大手門は惜しくも戦災で消失しました。現在のものは1968年に再建されたものですが、その大きさはさすがに天下一のものです。
頑丈な造りを誇るかのように、石垣はどれも巨石が使われていて通る者を圧倒します。
 巨大な天守台です。石の積み方は切石整層積みといわれる完成されたものです。カミソリの刃一枚も入らないと云われたインカの石積みを想像させてくれます。
江戸時代には天守閣は、家康の慶長期のもの、二代秀忠の元和のもの、三代家光の寛永期のものと3度築かれます。写真の天守台は、寛永期の天守閣が火災で焼失した後、江戸時代の中期に積まれたものですが、この上には天守閣は出来ませんでした。
 本丸にある石室(いしむろ)ですが、大奥納戸の隣に位置するところから、非常の際に大奥の貴重品を入れるところと考えられているそうです。しかしそれにしては頑丈な造りです。大奥の権威の大きさのためでしょうか・・・。
 天守閣が焼失した跡は、この富士見櫓が天守閣の替わりになりました。残念ながら通常は、このような後ろ姿からの写真(本丸から見た姿)になります。裏から見た富士見櫓は表からと違って、破風もなくシンプルな姿です。
 二の丸にある平川門です。

参考 城郭と城下町2(小学館)
    定本日本城郭事典(西ヶ谷恭弘著 秋田書店)
    名城の天守総覧(西ヶ谷恭弘監修 学習研究社) 
    現地説明板等



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