滝山城            


見学日 2006年5月4日他 好きな城で近いので10回以上行っています。
所在地 東京都八王子市舟木町(JR八王子駅北口から「戸吹」行きのバスで滝山城址下で下車します。)

 滝山城は1521年武蔵守護代の大石氏が築いたと言われます。大石氏は関東管領の山内上杉氏に仕えて小田原北条氏に対抗していたが、やがて北条氏の勢力拡大により、北条氏康の子供の北条氏照を養子として迎え北条氏の麾下にはいることになります。北条氏照はこの城を大幅に改修して、西武蔵の拠点の城とします。
 1569年10月滝山城は甲斐武田氏の猛攻に晒され、三の丸まで攻め落とされたが、北条氏照は二の丸で自ら采配をとって守り抜きました。この戦いの武田軍の指揮は武田勝頼が執り、二の丸では武田勝頼が守将の師岡山城守と三度に渡る槍合わせをしたと云われています。武田軍は2日間の猛攻の後に、軍を退き小田原攻めに向かいます。この戦の反省の上に、氏照は更にこの城を改修します。北条氏照が居城を八王子城へ移すまでは、滝山城は西武蔵の中心の城とされていました。
 滝山城は大変規模の大きな城で、現在城跡は公園として整備されていますので、戦国時代の関東のお城を知るには、とても見やすい城跡になっています。また滝山城址群・自然と歴史を守る会の方々が毎年草刈りなどの手入れを行ってくれています。その為年々見易くなってきています。特に初めて戦国の城を見るにはとても良いお城です。 。

 三の丸(写真左側)手前の深い空堀です。
三の丸は通路より高く侵入者を横から攻撃することが出来ます。またこの通路は反対側の小宮郭からの攻撃も受けるようになっています。
三の丸、小宮郭共にかなり大きい郭です。
 入り口は土塁で出来た虎口となっている千畳敷です。
ここには大きな建物があり、政庁の役割をしていた。2006年に行った時は、この近辺も雑草が刈り取られて見学しやすくなっていました。
 中の丸から本丸へ架かる橋です。当時は引き橋となっており、敵に攻められた場合は橋を引くことが出来ました。写真向こう側は、本丸の入口で枡形虎口となっています。
この虎口の通路には、石が敷かれていました。石が敷かれているところは、北条氏照が後に移ることになる八王子城と同じです。
 本丸は2段に分かれており、低い方には井戸があります。
 上記の引き橋を掘底から観たところです。右側が本丸、左側が中の丸ですが、両方ともかなりの高さになっているのが分かります。
 大馬出です。写真では分かりにくいが、遺構が良く残っていて、この城の規模の大きさが感じられる場所です。左側には大きな窪地があり、当時は池となっていて、水の手だったようです。
 最近整備された山の神曲輪です。2011年3月に滝山城址群・自然と歴史を守る会主催の見学会に参加してきました。その際の講師の方の説明では、山の神曲輪は住民の避難場所として確保されている曲輪だそうです。
 このような住民の避難場所を持つ城は、沢山あったそうです。

参考 「日本の名城・古城ものしり事典」(小和田哲男監修 主婦と生活社)
    「戦国の終わりを告げた城」(椚国男著 六興出版)
    現地説明板等
    「戦国の堅城」(学習研究社 2004年9月1日) この本では、滝山城が復元図入りで説明されています。
滝山城のことを紹介した本
    「よみがえる滝山城」(中田正光著 滝山城跡群・自然と歴史を守る会編集・発行 揺藍社)
    「滝山城戦国絵図」(中田正光著 滝山城跡群・自然と歴史を守る会編集・発行 揺藍社) 



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