箕輪城

所在地  高崎市箕郷町西明屋
見学日  2007年4月29日 その他にも4、5回行っています。大変規模が大きく見応えのあるお城で、関東では屈指のお城です。
      「日本の名城 都道府県別ベスト10」(歴史読本 2009年5月号)では群馬県の第一位の城です。

 箕輪城は1500年ごろに、高崎市を拠点としていた長野氏が築いた城です。長野氏は箕輪城を拠点として西上野を支配して、特に長野業政の時代に全盛期を迎えます。しかし元禄年間の甲斐の武田氏の西上野侵攻により、長野業盛の時代の永禄9年(1566)には箕輪城も落城します。
この後は、武田、織田、後北条、徳川の城として使用されます。そして最後の徳川氏時代は、徳川家康の家臣井伊直政12万石で入ります。井伊直政は慶長3年(1598)に城を高崎に移し、箕輪城は廃城となります。 

    正面に見えるのが二の丸です。急な切岸と高さが分かります。こちらが搦め手口ですが、そちらに駐車場があります。また大手通の虎とう門の方にも駐車場があります。
    二の丸から本丸へ行きます。手前に馬出しがありますが、写真はそこを入ったところから本丸を見たところです。右手に土塁があります。
    本丸は二つに分かれており、本丸の先に御前曲輪がありますが、写真はその曲輪を分けている空堀です。右手側が御前曲輪です。この堀は浅い堀になっています。
    本丸の西側の空堀の底です。写真のようにかなり深くそれに大きい空堀になっています。これほど規模の大きい堀は、中々見ることが出来ません。
    稲荷曲輪の北側にある新曲輪(?)だと思います。手前には丸馬出しがあります。
   本丸から蔵屋敷へ渡る橋の脚台があったところです。本丸と蔵屋敷曲輪の大規模な空堀の幅がここでは狭くなっています。
    蔵屋敷曲輪から三の丸をみたところです。本丸の西側にこのような曲輪群があります。
    大手門を入って行くルートには、このような石垣があります。あまり大きくない石を加工しないで積み上げたものです。写真は三の丸の石垣です。
    虎とう門です。城の中核部分を守る大堀切の西端にある大手門です。大堀切を守る役目がありました。

参考 現地説明板  パンフレット「史跡 箕輪城跡」(高崎市教育委員会文化財保護課) 

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