太田・金山城

見学日 2002年10月5日 歴史探偵クラブに参加 その他も
所在地 群馬県太田市金山

 1469年、新田氏の一族である岩松氏が築いたと言われる太田金山城は、関東7名城の一つです。1471年、古河公方の足利成氏は8千の兵でこの城を70日間あまり攻めたが、とうとう落城させることが出来なかった堅城でもあります。その後岩松氏の家老である、横瀬氏が力を付け実質的に支配するようになります。1563年、横瀬成繁の時には由良氏と改姓します。横瀬成繁の時に、越後の上杉氏や北条氏の攻撃を受けますが、両氏の攻撃を撃退して、再び堅城ぶりを示しました。しかしながら由良国繁(由良成繁の子)の代に、北条氏の傘下にはいることになります。天正18年の豊臣氏の小田原征伐の際には、北条氏は小田原城への兵力集中のために、金山城は放棄される。太田金山城は、また戦国時代の関東の城には、本格的な石垣は無いという定説を、発掘調査によりくずした城でもあります。


 西櫓台と物見台の間にある、岩を切り崩した大堀切は圧巻です。岩山であったことが、石垣や石敷きの利用を可能にしたのだと思われます。
現在の遺構は、基本的には北条氏の傘下へ属した時のものだと思われます。
 平成4年以後発掘調査が行われ、石垣の積み直しを中心とした整備が行われています。その石垣は見事な石積みをしています。写真の手前側は土橋ですが、石積みを伴う土橋の発見はこれまでの定説を覆す画期的なことでした。
 石垣の一番下の石が、わずかにはみ出しているのが分かると思います。これは石垣が崩れ落ちるのを防止する「アゴ止め石」と言われる石積みの技法です。
大手の通路から二の丸方向を見たものです。大手通路を進む敵に対して、両サイドの高いところから攻撃出来るようになっています。通路内には石組みの水路があり、効果的な排水をおこなっていたようです。全体的に石はそれほど大きくないものが使用されています。また石垣は高さが低いためか、二段三段と重ねて造られています。
 上の写真の大手通路の先の石垣の先にある日の池です。発掘調査により、石垣や石敷き、石組み井戸や石階段が発見されました。水の確保だけではなく、戦勝や雨乞いなどの祈願をおこなった場所でもあるようです。平安時代の遺物も発見されていることから、古くから神聖な場所とされていたようです。
写真の日の池より一回り小さい月の池もあります。

参考 歴史探偵クラブの配付資料や講師(外川淳氏)の説明
    「日本の名城・古城もの知り事典」(小和田哲男監修 主婦と生活社)
    現地説明板等

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