松岡城(龍子山城) 

見学日 2004年7月3日 文化放送歴史探偵クラブ
所在地 茨城県高萩市下手綱

 古くは龍子山城と呼ばれる山城でした。大塚氏が築城して治めていたが、大塚氏は岩城氏に服属することになります。その後岩城氏は佐竹氏と結び佐竹氏の元に入りますが、大塚氏は龍子山城主となっていました。しかし太閤検地後には、大塚氏は折木城に移され佐竹氏の城番が置かれます。関ヶ原の合戦後には、出羽角館の戸沢氏が4万石で入ってきます。戸沢氏はこの山城を改修すると共に、麓に曲輪を構えて政庁とし近世城郭にしたうえ、城下町の整備も行います。城の名前も松岡城としました。1622年戸沢氏は最上氏改易に伴い、出羽の新庄へ転封になり水戸藩が管理することになり、家老の中山氏が城主となり明治まで続きます。

 写真は旧大手通りで、道路の両側には昔の武家屋敷が残っていて、なかなかの雰囲気が味わえます。写真正面の突き当たりが小学校になっていて、大手の枡形虎口があったところです。山城の部分は写真の左手の方になります。
 大手通りにある武家屋敷跡の一つで、高橋家の門と塀です。他には、植物学者として有名な松村任三の生家の長屋門があります。
 現在の小学校の校庭はこの写真の左側にあります。こちらは麓の土塁と水堀ですが、現在は史跡公園になっています。校庭とこちらを合わせたところが一つの広い曲輪になっていて、評定所等の建物が建っていました。
 山城の本丸のすぐ下にある井戸跡です。本丸跡は傾斜しており更に雑草などが多く、よく分かりませんでした。この下の方には、御殿などがあった曲輪がありましたが、その場所は比較的広い平地になっていました。

参考 当日配布の資料と講師の説明
    「城郭と城下町 関東」(相賀徹夫編集・著作 小学館) 

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