土浦城

見学日 2002年12月1日 近畿日本ツーリスト歴史倶楽部
所在地 茨城県土浦市中央

 土浦城は現在、市内に亀城公園としてあり市民に親しまれています。現在の公園は、城の本丸と二の丸の約半分であるが、往時の土浦城は霞ヶ浦や桜川の水を引き入れた五重の堀をめぐらしているその姿が水に浮かぶ亀の形に似ていると云うことで別名「亀城」とも呼ばれていた。
 室町時代中期に、小田氏の武将で今泉三郎が築城したと云われる。今泉氏は1506年に討ち死にし、その後は小田氏の武将の菅谷勝貞が城主となります。1590年には豊臣秀吉の小田原攻めでは、菅谷氏は北条側に味方していたため、佐竹氏などの攻撃を受け城を明け渡します。
徳川家康の関東入部では、家康の次男の結城秀康が土浦城に入ります。その後城主は色々変わりましたが、1687年再度土屋氏が城主になり、明治寺まで続きます。

 写真は外堀です。

 土浦城が近世城郭として整備されたのは、結城氏の後に入った松平氏やその後に入った西尾氏の時代だと云われます。
 写真は、本丸の入口にあたる太鼓櫓門(現存)です。

 この櫓門は、1656年に朽木氏が改築したもので、かつては二階に時刻を告げる大太鼓があったことから太鼓櫓とも呼ばれています。江戸時代前期の櫓門としては、関東地方で唯一残るものです。
 写真は、本丸の東櫓です。西尾氏が城主の1620〜1621年に掛けて、2代将軍秀忠を迎入れるために申請して造られました。なお、土浦城には天守閣は建てられませんでした。

 東櫓は、明治期の火災で焼失したが平成10年木造により忠実に復元されました。
 写真は本丸の西櫓です。

 西櫓は、昭和24年まで残っていましたが、その年の台風により壊れたので解体されました。平成3年に様々な資料から忠実に復元されました。
 写真は二の丸の入口にある、旧前川口門です。この門は、武家屋敷があった多計郭と町屋の間を仕切る門だったそうで、江戸時代末期の建築物だそうです。

 この門は、明治18年には土浦町役場の門として使用され、大正9年には等覚寺山門として使用されていたものを昭和56年に二之門のあった現在の位置に移されたものです。

参考 現地説明板等
    当日のレジメと講師の説明
    「復元模型で見る日本の城 上」(織豊期城郭研究会編 学習研究社) 

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