小机城              


見学日 2003年1月11日 オフ会に参加、その他にもあり2011年6月まで全部で約10回行っています。
横浜市内という大都会にあるお城としては、大変よく遺構が残っています。
所在地 神奈川県横浜市港北区

 小机城はいつ頃出来たのかは明ではないが、室町時代には上杉氏の城としてありました。1473年の長尾景春の乱の時には、長尾氏の家臣の成田氏が城代になっていたようです。長尾景春の乱は、山内上杉家の家宰長尾家の跡目争いに端を発します。その時に長尾景春に味方した豊嶋氏(東京都北区に勢力基盤を持ちます)は、武蔵の地で太田道灌との戦いに敗れ、1478年にこの城に立てこもりました。扇谷上杉の太田道灌が、この小机城を攻撃していますが、戦上手の道灌としては珍しく2ヶ月という長い期間をかけて、ようやく落城させています。
その後、上杉氏も小田原北条氏に追われ、この城は小田原北条氏の、南武蔵への戦略拠点となり、北条氏の江戸城攻めの際にはこの城が前線基地となったようです。小机城は、北条宗家の一族が城主となり、笠原氏が代々城代となります。ここ相模の地元武士団は、北条氏の元では小机衆と呼ばれ北条氏の重要な軍団になっています。現在残る遺構は、この北条氏時代の城跡です。

 小机城は北側を鶴見川が流れる、扇状台地上に立地しています。
 写真は、本丸へはいる土橋で両側は空堀です。この土橋は以前はS字形をしていたようですが、公園化の工事により直線に近くなったようです。
右手手前は大変狭い帯曲輪(狭いためか土塁としているものもある)があり、二の丸の方まで細長く続いています。小机城跡は、現在は公園になっているために整備されており、戦国時代の土塁の城はどういうものなのかを知るには、良い城跡です。
 本丸広場。本丸を囲む土塁や空堀は良く残っています。正面の先にもう一つの帯曲輪があり、その先が二の丸である。二の丸も遺構は良く残っており、本丸に比べると、造りが古いと云われる。但し二の丸を囲んでいたと思われる土塁は、残っているのは一部です。本丸の西側には西郭があるが、現在は京浜道路が走っており、道路工事により本丸、空堀(本丸と西郭の間)、西郭は大分変わっていると思われます。
 本丸と帯曲輪の間の空堀(城の北側になります)。左手が帯曲輪で右手が本丸側です。反対側の本丸の堀底は歩けるようになっています。
 写真は二の丸下の空堀跡で、写真の左側が二の丸になります。遊歩道として整備されています。上の写真とは反対側の城の南側になります。写真正面は、本丸と二の丸の間にある小さな郭です。

参考 日本城郭大系6(新人物往来社)
    「戦国の城 上」(西ヶ谷恭弘著 学習研究社)
    現地説明板等


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