松山城           


見学日 2001年12月8日 ニフティ城郭フォーラムのオフ会その他にも2回ほど行っています。
所在地 埼玉県吉見町

 松山城は、戦国時代に山之内上杉氏の重臣上田氏によって築かれた城ですが、その立地の重要性から、幾たびもの戦乱にあっています。上田氏は有名な川越夜戦の後に、山之内上杉氏から北条氏へと主を変え、松山城も北条氏方の城となります。しかしその後は、山之内上杉氏から関東管領を受け継いだ上杉謙信の関東侵攻による攻撃を受け、1561年に落城しています。
しかし上杉氏が越後へ帰ると、再び北条氏の攻撃を受け落城している。最後は1590年の豊臣秀吉の小田原攻めにより、前田利家・上杉景勝等の攻撃により落城しています。
なお城の麓には、吉見百穴があります。

 本丸手前の空堀。松山城は雑草や小枝が切られ、良く整備されていました。ただし行った日は枯れ葉が多量に積もっていて、地面の高低差がちょっと分かりにくいようでした。
 本丸にある案内板。右側には神社があります。全体的に雑草や木々が取り払われていて、遺構が見やすくなっています。
 本丸の隣にある、兵糧倉跡。二年くらい前に行った人の話では、当時この辺は木々に覆われよく見えなかったそうです
 城の東側の端にある三の丸の土塁。長い年月で当時よりは大分低くなっていると思われる。

参考 戦国の城上((学習研究社)
     現地説明板等


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