小倉城

見学日 2006年1月14日(土) 歴史探偵クラブ
所在地 埼玉県玉川村小倉(最寄り駅は東武東上線武蔵嵐山)

 ここ埼玉県比企地方には、文献資料にあまりあわられない名城があります。この小倉城もその一つです。小倉城の城主は遠山氏と伝えられていますが、はっきりしてはいないようです。
 発掘調査からは、13〜14世紀には宗教施設として使用され、その後15世紀末から16世紀後半まで城として使用されたようです。この時代にも前期は、両上杉氏時代、後期は北条氏時代になるようです。

 小倉城への上り口です。正面に見える道を登っていくと、小倉城の三郭に行きます。この道は小倉城の南西方向にあり、この道を進んでいくと三郭、二郭、主郭と行くことが出来ます。
 この城には多くの石が使用されています。発掘調査によれば主郭にある三つの小口は、すべて石積みであるとのことです。石は緑泥石片岩を使用しています。見た目には、薄い板のような石を重ねていますので、すべての石は大きなものではありません。
 三郭内部側から小口を見たもの。正面の道の先が左側に90度に折れ曲がっていて、それに沿って土塁がありこの郭の守りを固めています。ここ三郭は大変狭い郭で、縄張り図によっては郭としていないものもあります。
 三郭と四郭の間を区切る縦堀です。城跡は前の写真でも分かるように、見やすく整備されています。
 二郭です。左側がやや高くなっています。土塁の跡だと思われます。
 主郭です。写真の右手が主郭の小口ですが、その付近が付近がビニールシートで覆われています。発掘調査中です。主郭の東側には、縦堀がありそれを下っていくとふもとの大福寺に行くことが出来ます。この大福寺には、小倉城の城主であった遠山衛門光景氏の婦人のものと伝わる位牌があります。この大福寺はふもとの居館だったようです。
 主郭から北側に降りたところで、七郭からの主郭への小口となっています。写真はその小口を主郭から出たところから写したものです。この場所を登ると主郭になりますが、その場所もやはり小口で右へ90度曲がって入るようになっています。
 主郭の東側には、五郭と六郭が続いています。その間にある堀切です。岩を削って出来ています。

 参考 「戦国の城」(藤木久志監修埼玉県立歴史資料館編 2005年12月1日) 
     現地説明板等
     当日の配布資料と講師の説明
    

城の目次へ戻る