菅谷城(菅谷館跡)

見学日 2007年12月8日(土)他 今まで7〜8回行きました。なお以下の写真は2005年7月の時のものが大部分です。
所在地 埼玉県比企郡嵐山町菅谷 東武東上線武蔵嵐山駅より徒歩約13分

 夏の暑い日は、高低差のない整備された平城が行きやすいです。また此処には城跡の中(三郭)に埼玉県立歴史資料館がありますので、疲れたら展示品を見ながら涼むことが出来ます。埼玉県立歴史資料館に入ると直ぐに、畠山重忠(人形)が話しかけて出迎えてくれます(過去2回はそうでしたが、2006年1月の際には人形はありませんでした)。
 菅谷城の始まりは鎌倉の有力御家人の畠山重忠の館だったと云われています。しかし現在残っている遺構は、戦国時代の城跡になります。小田原北条氏の時代には北条方の小泉氏が城代になっています。1561年に上杉謙信の関東侵攻があり、その際には近くの松山城が落城し上杉方になります。その頃には、上杉謙信は小田原城まで攻めていますので、この城も上杉方になったのではないかと思われます。しかし1563年には、北条氏は松山城を攻め、北条方に取り戻しています。そのためこの城も北条方が取り戻し、その後は松山城の支城として拡張整備されたものと思われます。


 写真は三の郭の土塁(歴史資料館の近く)です。

歴史資料館の入り繰り辺りは、搦め手となっていたようです。長方形の形をした大きい郭で、発掘調査により、建物跡や井戸跡が確認されています。
 写真は三郭(右側)と西郭の間の橋の上から、空堀を見たもの。ここには木橋があったようで、三郭の出入り口は、正?門(しょうてんもん)と呼ばれていました。
 写真は本丸の土塁と空堀です。手前が本丸の虎口になります。

三の郭から本丸へ行くには、二の郭を通りますが、二の郭は本丸を囲むようにして守りを固めています。また、この郭も大変良く整備されて芝生になっていますが、一部の土塁は削られて消滅しています。
 写真は本丸です。本丸には畠山重忠の館があったと云われています。しかし現在残る遺構は、その当時のものは何もなく、戦国時代のものです。この本丸全体をを鎌倉時代の館跡とするには、広すぎると思います。
上の写真で分かるように本丸は周りを空堀で囲まれています。
 写真は本丸虎口を内側(本丸側)から見たところです。写真の向こう側は二の郭です。写真で分かるように、本丸への入口となる虎口は幅を狭められ守りを厳重にしています。しかし折れ等はなく、真直ぐになっています。本丸は全体が、土塁で囲まれています。

参考 「埼玉の古城址」(中田正光著 有林書店新社 平成13年4月25日)
    「国指定史跡 菅谷館跡」(埼玉県立歴史資料館)

 

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