祇園(小山)城

所在地  小山市城山町   公園として整備されています。
見学日  2011年5月7日その他 

 祇園城が記録に見えるのは、14世紀後半の頃からで、城を守る祇園社(現在の須賀神社)をまつったことから祇園城とよばれることになったと云われます。下津家の名族小山市の居城で、小山氏の本拠となったのは15世紀になってからと思われます。
戦国期の小山氏は、越後の上杉氏や小田原の北条氏といった有力な戦国大名に攻撃され、天正3年(1575)北条氏照によって祇園城は落城し、小山秀綱は追放されます。北条氏照はこの城を大規模に拡張整備したと思われます。
北条氏の滅亡後は、江戸幕府成立後は、本多正純が3万石で城主となりますが、元和5年(1619)本多氏が宇都宮に転封となり、廃城になりました。 

   JR東日本東北線小山駅から歩いて行ける城としては、遺構の良く残る城でしかも見ごたえのある城です。
駅前から西側に大道路を750メートルほど歩くと、道路の右側に祇園城のある城山公園の入り口です。城の右側には思川が流れ天然の堀になっています
入り口を登った所が曲輪Tです。土塁が曲輪を囲んでいます。
写真は曲輪Tと曲輪Uの空堀に架かるぎおん橋です。
    曲輪Tと曲輪Uの間の空堀です。写真で分かるように、大きくて見事な空堀です。ぎおん橋を渡ると角馬出しになります。
    曲輪Uの北側(曲輪3の方向)には土塁があります。曲輪Uと曲輪Vにある空堀は、ずいぶん深く小川が流れています。曲輪Uと曲輪Wの間も以前はそのように深くなっていたのでしょうが、現在は土管を通してその上を土で覆っていますので、その分だけ浅くなっています。
写真は曲輪Vと曲輪Xの間の空堀です。この空堀も大変深い堀になっています。
    曲輪Xの西側へある馬出しへ行く土橋です。曲輪Xはとても広い曲輪で曲輪Tよりもかなり大きな曲輪です。現在は曲輪の東半分くらいはお寺(天翁院)になっています。このお寺は歴代の小山氏の菩提寺になっています。
曲輪Xの北側には土塁と空堀がありますが、この空堀は幅も狭く、浅いものです。
    祇園城の駅前道路の斜向かいには、小山御殿がありました。写真は小山御殿跡です。
この御殿は徳川将軍が日光へ行く時の宿泊所として利用されました。
    小山御殿の手前(駅近く)の市役所の敷地の中には、関ヶ原の戦の前に行った有名な「小山会談の碑」があります。
豊臣温故の大名を引き連れ会津の上杉討伐に向かった徳川家康が、上方での石田三成の挙兵の知らせを受け、ここで諸将を集め対策を話し合いました。その結果上方へ引き返し関ヶ原の合戦が行われました。

参考  現地説明板等  「鷲城・祇園城・中久喜城」(ずいしょうしゃ新書)写真の曲輪の説明等は、この本の曲輪の番号を使っています。 

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