喜連川(倉ヶ淵)城

見学日 2005年2月5日(土) 歴史探偵クラブ(講師外川淳氏)
所在地 栃木県塩谷郡喜連川町本宿

  喜連川城は、1186年塩谷氏によって築かれたと云われます。その後喜連川塩谷氏は戦国時代まで続きます。1590年の豊臣秀吉の小田原征伐では、塩谷氏は秀吉に従属の意志を示すが、家臣岡本氏がそれに背き、結局秀吉に従う期を失したため、秀吉の怒りを恐れ出奔します。その為喜連川塩谷氏は滅びます。
秀吉は名門古河公方の家系を残すために、小弓公方足利義明の孫国朝と亡くなった足利義氏(古河公方の3代目)の娘を結婚させて、跡目を継がせ、喜連川に領地を与えます。江戸時代には、石高は五千石と低かったが、名門足利氏の一族なので格式は10万石の大名と同じ待遇だと云われました。
喜連川城は荒川と内川の間の丘陵に建つ、郭が一列に並ぶ連郭式の城郭で、城跡も公園として整備されています。

 

 写真は公園にある喜連川スカイタワーの展望室(高さやメートル)から見た喜連川城です。

 写真では分かりにくいのですが、実際に見ると、先端に向かって伸びている丘陵を、堀で断絶して郭としているのがよく分かります。堀は3本あります。
 写真はU郭とV郭を隔てる堀で、右側がU郭になります。この堀は深くてとても大きい堀です。
 本丸です。後方中央の白い建物が喜連川スカイタワーです。本丸は縦に長い台形をしています。
喜連川塩谷氏は、1186年にここに封ぜられてから1590年に滅ぶまで、約400年間この地を城として17代続きました。
 本丸から丘陵部の先端部へ続く郭がいくつかありますが、それを本丸側から見たものです。

参考 当日配布の資料と講師の説明。
    現地説明板等
   「日本の名城・古城もの知り事典」(小和田哲男氏監修 主婦と生活社) 

 

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