飛山城

見学日 2005年8月7日 クラブツーリズム 2007年4月21日歴史探偵クラブ
所在地 栃木県宇都宮市竹下町380−1

 飛山城は国指定の史跡になっていて、大変良く整備されて現在は飛山城史跡公園となっています。
飛山城は、中世宇都宮氏の重臣芳賀氏により、鎌倉時代の1293〜98年頃に築かれたと云われています。南北朝の戦いの際には、足利尊氏側に付き戦功があり、宇都宮氏は上野・越後の守護となり、芳賀氏は守護代になります。戦国時代には宇都宮氏と芳賀氏は婚姻により同族となっていましたが、互いに争っています。1557年佐竹氏の支援を受け、宇都宮広綱は宇都宮城に復帰します。その後は宇都宮氏は佐竹氏や結城氏と結び、小田原北条方に対抗します。1585年に宇都宮氏の本拠が多気城に移った後は、飛山城は真岡城の番城的なものになります。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏が滅んだ後は、取り壊されて廃城になりました。
 城跡のすぐ側にはとびやま歴史体験館があり、飛山城の模型などが展示されています。

 2007年歴史探偵クラブで行った際の、講師の外川淳氏、および城郭研究者の鳥羽弘樹氏の説明では、城の主要なX郭までとその外側の造りは異なっていて、宇都宮氏時代の城はX郭までと思われるそうです。その外側の郭の土塁と堀は規模が格段に大きく、とても宇都宮氏等の地方領主クラスの築けるような城ではないそうです。ではいつの頃かなのでしょうか?
これに対する答えは、この地方で軍事的緊張感が高まった時代を考えると関が原合戦前の会津の上杉氏に対する備えとして、徳川方が築いた可能性が高いそうです。外堀の大きさや各櫓台の距離を考えると、明らかに鉄砲を意識した造りになっているそうです。

  

 飛山城は鬼怒川の河岸段丘状に位置します。城の西側と北側は高さが40〜50メートルの崖になっています。
写真は、城の東側にある外堀に掛かる木橋でここが城の大手口でした。木橋の後ろ側に折れ曲がった土塁が見えますが、ここから木橋を渡る敵に対して横矢で攻撃出来るようになっています。
 上の写真の木橋を渡って城の中心部へ向かうところにある復元された門です。写真は門の内側から見たところです。人が立っている辺りは枡形になっていて、守りを固めています。
 写真は南側の外堀にある土橋です。写真では土の高さが分かりにくくなっています。
 城の中心の本郭は、土塁と堀で3つの部分に分けられています。写真は折れを伴う本郭の土塁と空堀ですが、外堀に比べると幅や高さは大変小さく、これでは守りに不安があるように思います。当時はもう少し深かったのでしょう。
 写真中央の奥が、2号堀の木橋で、ここを渡り城の中心部へ行きます。城の中心部へ入るのはここだけですが、やはり写真手前の土塁上から横矢で攻撃することが出来るようになっています。

参考 「国指定史跡 飛山城跡」(宇都宮市教育委員会 2005年3月)
    現地説明板等 


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