犬山城

見学日 2002年8月25日 クラブツーリズムのツアー参加(その他にも4回位行っています)
所在地 愛知県犬山市犬山

 犬山城は木曽川の崖の上のあり、その姿は中国の白帝城に譬えられる。犬山城の天守閣は現存12天守の一つであり、国宝です。さらに全国に12ある現存天守閣のうちでは1番古いものです。
 犬山城は1537年頃、織田信康が築きました。織田信康の子供の信清は、美濃の斉藤方に味方し尾張の織田信長に敵対していました。そのため犬山城は織田信長の攻撃を受け、1565年城を明け渡します。織田信長は部下の池田恒興を犬山城主にします。池田恒興の後は、織田信房が犬山城主となります。織田信房は、織田信長の子供で美濃の岩村城の遠山家に養子に行っていた人です。岩村城が甲斐武田家の攻撃を受け、武田側に降った際に、人質として甲府に行っていた人です。武田信玄が亡くなって武田勝頼の時1581年に、織田信長の下へ帰してきました。しかし翌年の本能寺の変の際には、二条城にいて戦死しました。織田信長が亡くなった後は、尾張は織田信雄が継ぎます。豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康が争った小牧長久手の戦の際には、秀吉方に味方した池田恒興の攻撃を受け犬山城は落城しています。
 江戸時代の1617年、成瀬正成が犬山城主となり、明治維新まで続きます。成瀬家は3万石を領しますが、尾張名古屋の徳川家の付け家老で独立した大名ではありませんでした。独立した大名になりたいとの思いは代々引き継がれ幕末の犬山藩独立へつながります。犬山城の天守閣は全国でも珍しく個人所有のものですが、この藩主の成瀬家が現在も所有しています。

 写真は道具櫓から本丸を目指して登るところです。道は防備のために、左へ90度曲がり右へ90度折れてさらに左へ90度曲がっています。写真の手前左側には空掘跡が残っています。
 本丸へ続く石段の道です。写真左側には家がありましたがその表札を見ると「成瀬」氏でした。写真のように見学者が多くいる城でもあります。
 上の写真の階段を上ったところで、本丸へ入るところの石垣です。写真の右側は、本丸入り口の鉄門へ続きます。写真の右側に奥は小銃櫓があります。鉄門と小銃櫓はいずれも復元されたものです。
 現存天守閣を正面から見たところです。正面に天守閣への入り口があり、そこを入ると石垣に囲まれた穴倉があります。最上階は、外側に欄干が付いた望楼式天守です。天守閣は1601年に新築されたものといわれています(「よみがえる日本の城3」学習研究社)。
 天守閣最上階から見た景色です。写真の川は木曽川で、犬山城は木曽川がちょうど濃尾平野に出てくる入り口に立地しています。木曽川の急な岸の上に立つ天守閣の姿は美しいもので写真にはよく見られますが、天守閣最上階から見た周囲の景色もこのように綺麗です。

参考 「犬山の歴史散歩」(横山住雄著 濃尾歴史文化研究所)
    「城郭と城下町3」(小学館)  

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