名古屋城

見学日 2002年8月24日 近畿日本ツーリスト歴史倶楽部その他
所在地 名古屋市中区本丸

 金の鯱がシンボルの城として名高い名古屋城は、関ヶ原の合戦後に徳川家康が、その子徳川義直(第9子)の居城として天下普請によって築いた城である。工事は1609年から始まり、北陸・西国の諸大名20名に命ぜられ、1612年にほぼ完成した。その中でも天守閣の石垣は、加藤清正が願って独力で工事しました。以後、名徳川御三家の筆頭尾張徳川家の居城とされました。
名古屋城は、大小天守閣や本丸御殿など多くの建築物が残っていましたが、昭和20年の名古屋空襲の際に多くが焼失してしまいました。
 明治維新の年1868年1月、尾張徳川家では未曾有の大事件がありました。この事件は、青松葉事件と云われますが、事件の直後に厳しい箝口令がひかれたこともあり殆ど知られていません。同年の1月20日から25日までの間に、朝命により死を賜うということだけで殆ど理由もなく、城内で重臣など14名が次々に斬首されるという痛ましい事件です。

名古屋城の正門です。元は榎多御門があったところですが、旧江戸城の蓮池門を、明治43年に移築したものです。残念ながら戦災で消失しました。その為に昭和34年に鉄筋コンクリート造りで外観は当時のままに再建しました。高さは12メートルもある大きな門です。
戦災を免れた現存の西南隅櫓(重要文化財)です。西・南面に石落としが付けられています。内部は3階になっています。この櫓は明治24年の濃尾大震災で石垣とともに崩れ落ちましたが、復旧修理されました。
 本丸表二之門(重要文化財)を内側から見たものです。門柱・冠木は鉄板が貼られ、木の用材も大きな物が使用されて、堅固に造られています。
 大天守と小天守が渡り櫓で結ばれていますが、この様な形の天守を連結式天守と呼びます。手前の石が規則正しく並んでいるのは、本丸御殿の場所を示したものです。名古屋城の本丸の堀は水のない所謂空堀です
昭和34年10月に鉄筋コンクリート造りで再建された天守閣で、外観は当時のままです。名古屋城の天守は5層ですが、下に穴蔵があり、内部は6層になっています。穴蔵の東北の隅には、加藤清正が慶長大判を並べたと云われる黄金水の井があります。
石垣の高さは12.42メートル、建物の高さは35.85メートルあります。

参考 「特別史蹟 名古屋城」(山田秋衛著 (財)名古屋城振興協会編 平成5年3月14日)
    現地説明板等

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