岩村城

見学日 2004年12月4日 文化放送歴史探偵クラブ
所在地 岐阜県恵那郡岩村町城山

 日本3大山城の一つとして、また女城主(織田信長の叔母)の城としても名高い岩村城です。岩村には鎌倉以来遠山氏がいました。1570年頃には岩村城主は遠山景任で妻は織田信長の叔母であった。岩村は美濃の東の端にあり、信濃・尾張・遠江を結ぶ重要な位置にあったため、織田信長が遠山氏を組み入れるために叔母を嫁がせた云われます。織田家と武田家は当初友好関係にありましたが、次第に悪化し1573年の武田信玄の西上に際して、武田家の武将秋山信友が別働隊として東美濃に侵攻してきます。この時遠山景任は既に亡くなっており、その為織田信長の4男が養子として入っていたが当時僅か3才であった。このために実質的な城主は織田信長の叔母となっていた。岩村上は堅固な守りをしているため、力攻めでは難しいと思った秋山信友は、岩村城を調略しこの信長の叔母と結婚してしまいます。織田信長は抵抗らしい抵抗もせず武田方になったこの叔母を、非常に憎んだと思われます。やがて長篠合戦で武田軍を破ると、この岩村城を攻撃します。1575年、半年の包囲の後に籠城兵への助命を条件として開城します。しかし信長の怒りは激しく、籠城兵を皆殺しにした上に、助命のお礼に参上した秋山信友や自分の叔母を長良川の岸辺で逆さ磔にしてしまいます。

 本丸近くに駐車場があり、そこから本丸の石垣を見たものです。駐車場のあるところは、当時は出丸になっていました。
 二の丸から本丸へ登るところです。
岩村城は天然の峻険な地形を利用した要害堅固な山城です。武田方の秋山氏を攻略した織田信長は川尻氏を城主とします。川尻氏の後は森氏・田丸氏が城主となります。この時代に岩村城は石垣の城として改築されます。
 本丸から虎口をみたところです。岩村城は海抜721メートルにあり、全国の山城のなかで最も高地にあるので日本3大山城の一つになっています。
ちなみに日本3大山城の残りは、備中松山城(現存天守があり最も高いところにある)、大和高取城(最も比高が高い)です。
 本丸の隣にある東郭の石垣です。ここの石垣も見事ですが、この石垣の右手奥が六段壁と云われる六段に重ねられた石垣があります。急な斜面を石垣にしたため、六段に重ねたものです。
 麓にある太鼓櫓です。この側に岩村町歴史資料館があります。

参考 現地説明板等
    当日配付資料と講師(外川淳氏)の説明
    「日本の名城古城もの知り事典」(小和田哲男監修 主婦と生活社)

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