飛騨松倉城    

見学日 2003年7月13日(日) 近畿日本ツーリスト歴史倶楽部
所在地 岐阜県高山市西之一色町
標高856メートル(比高360メートル)の山にありますが、かなり上まで車で登れます。


 飛騨松倉城は、三木自綱によって1579年頃に築かれたと云われます。三木氏は京極家の被官で、京極氏の飛騨の代官として代々力を蓄えてきました。そして三木自綱の時に飛騨一国をほぼ統一します。飛騨の一国支配の象徴でもあった飛騨松倉城は、飛騨の国の支配の本拠として主要な郭を石垣という当時の最新技術を使用して築城されます。それまでは飛騨の国には石垣の城はありませんでした。
 しかし、越中の佐々氏と近いという関係もあり、織田信長が亡んだ後は徳川家康・佐々成政に味方したため、秀吉の命を受けた金森長近によって1585年に攻撃を受け落城します。
後に飛騨一国を与えられた金森長近は、松倉城を破却して高山城を築きます。松倉城高山城ともに高山市にあります。


 搦め手口にある西南隅櫓の石垣。写真では分かりにくいが、かなり大きな石が使用されている。山の頂上近くにある三の丸・二の丸、本丸は総石垣で築かれているが、ここまで運ぶのには大変な苦労があったことと思われる。
 この石垣の造りかたから、三木氏の築城ではなく織豊系の大名の金森氏が、大分手を入れ改修したとも云われます。
 三の丸から本丸外郭の石垣を見たところ。本丸に対して三の丸は南側にあります。ご覧のように石垣はかなり良く残っています。本によっては金森長近によって、松倉城は壊されその石も高山城に利用されたとしているものがあるようですが、三の丸からの石積みは、再利用を免れたようです。
 二の丸にある旗立台と云われる岩です。写真で分かるように、岩の真ん中に切れ目がありそこに旗を立てたと云われています。
 本丸から二の丸を見たところ。左手の斜面も石積みだったようです。1585年に金森親子に攻められて落城してからは、廃城となりました。


参考 「日本の名城・古城ものしり事典」小和田哲男監修 主婦と生活社
    「飛騨 金森史」岐阜県立歴史資料館館長監修 (財)金森公顕彰会発行
    現地説明板等


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