大垣城         


見学日 2002年9月15日 近畿日本歴史倶楽部
所在地 岐阜県大垣市

 大垣城と言えば、関ヶ原合戦の時には必ず名前が出てきますので、名前は馴染みが深いです。西軍の中心人物の石田三成は、自分の居城佐和山城を出発して、大垣へ向かい大垣城の城主伊藤盛宗に城の明け渡しを申し込む。
1度はこれを拒否するが、結局明け渡します。伊藤盛宗はその後、関ヶ原の前哨戦で、東軍と交戦して敗れ、関ヶ原では石田三成と共に笹尾山に陣取り、そこで戦死したと云われます。しかしよく分からないようで、戦後に流刑になった、切腹したとも言われる。(「大垣城物語」大垣市文化保護協会発行より)
関ヶ原の合戦後も、大垣城の攻防戦は3日間にわたって続いたが、ついに落城します。


 大垣城は西美濃の要地にあるため、戦国時代は城主が色々変わっています。大垣城の表門です。大垣城跡は現在、大垣公園となっています。
 4層4階建ての天守閣です。昭和20年の戦災で消失しましたが、昭和34年外観は当時のままで再建されました。
 天守台の石垣。一見無造作に積まれていますので「笑い積み」とも言われる(「大垣城物語」大垣市文化保護協会発行より)。
 西門。非常の場合は入口を埋めてしまうことにより守りを固める埋門になっている。

参考 「大垣城物語」著者清水春一 大垣市文化財保護協会発行
    現地説明板等


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