福井城          


見学日 2001年8月25日及び2004年7月10日
所在地 福井県福井市

 北の庄城は、織田信長の重臣として名高い猛将柴田勝家が築きました。その城(福井城と呼ばれる前)には、九重の天守閣があったと言われます。北の庄城の本丸は、現在の柴田神社があるところです。
関ヶ原の戦いの後は、家康の次男の結城秀康が入り、新たな北庄城の工事を行いほぼ現在の姿にしました。結城秀康は徳川家康の2男で、関東の名族結城家を継いで結城氏を名乗りました。関ヶ原の合戦では、宇都宮にあって上杉軍の南下に備える役割を果たしました。
元禄時代に、名前を北庄から福井と改める。
 幕末では坂本竜馬に暖かい援助を与えた、幕末の四賢候と云われた松平春嶽がいた城でもあります。

 北庄城本丸跡に立つ柴田勝家の像。隣には、柴田勝家の妻で、戦国を代表する美人のお市の方(信長の妹)の像も建っています。
北の庄城は、1575年に築き初め、完成を見ないままに1583年、豊臣秀吉の攻撃により落城しました。
勝家は城下町の整備に努め、越前地方に画期的な都市開発事業を展開しました。
宣教師のルイス・フロイスはこの地に来て町の様子を書き残しています。
 2004年に行った際には、柴田神社はすっかり北の庄城跡の復元整備がなされて、柴田公園となっていました。
写真は北の庄城の堀跡(復元)です。堀は2段に掘り込まれる構造になっていて、上段のみに石垣が築かれていました。
 本丸石垣と内堀。行く前に想像していたより、石垣などは多く残っており楽しめました。
 天守台石垣はやや低く感じました。外観4層、内部5階の壮大な天守が立っていたが、1669年の火災で焼失している。
この天守台の隣にある控天守台跡の石垣は、福井震災(1948年6月)等による崩壊の跡が残っています。
 天守台の礎石。1669年の大火により城下町はじめ天守以下の多くの建物が焼失しました。その後天守は再建されませんでした。

参考 現地説明板等



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