大聖寺城

所在地  加賀市大聖寺錦町
見学日  2009年9月12日 

 大聖寺城は南北朝以後に築かれ、一向一揆の際にも重要な軍事拠点として利用されました。現在そ城の配置は天正11年(1583)に溝口秀勝を大聖寺領主となり4万4千石で封じられた時に修築したと推定される。慶長3年(1598)に溝口秀勝が越後新発田に転封した後には、山口玄蕃が7万石で入部した。
1600年の関ヶ原の時には、山口玄蕃は西軍につき、東軍についた金沢の前田利長と敵対した。同年8月3日、大聖寺城にいた山口軍1200名に対して、前田軍は2万5千人の圧倒的な兵で攻め立て、大聖寺城は落城し、山口父子は討ち死にした。前田利長は落城した城を修築し、城代を置いたが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり、以後再建されなかった。

 

   城への登り口です。写真のように整備されています。
この登り口のすぐそばに、「贋金つくりの洞窟」があります。説明板によりますと、明治元年に新政府より越後戦争の弾薬供出を命じられた大聖寺藩は、この洞窟の中で贋金造りをしました。新政府の役目を果たした後に露見して際には、責任者市橋波江に切腹を命じた。ただしその子孫には、倍の禄をあたえたそうです。
    鐘が丸の曲輪です。本丸南側にある広い曲輪です。
    本丸にある、1600年に討ち死にをした山口玄蕃の碑です。
当日は雨が降り、写真の写りが悪くなっていてよく見えませんが、中央に碑があり、その右側の石板に説明文が刻まれています。
    上の写真の後ろにある一段高くなっている櫓台です。やはり雨のため、写真が分かりにくくなっています。
    本丸の東側下にある、下馬屋敷跡です。

参考  現地説明板等 

城の目次へ戻る 

トップへ戻る