七尾城

所在地  七尾市古城町  山頂近くまでタクシーで行きました。
見学日  2009年9月11日

 七尾城は能登畠山氏の居城で、大永年間(1521〜1528)までには、府中の守護屋敷から拠点が移されている。標高300メートルの山地に築かれた山城で、その城山が7つの尾根からなっているので七尾と呼ばれたという。七尾城は能登畠山氏の居城として、それ以後代々整備拡張された。
天正5年(1577)、七尾城は上杉謙信軍に包囲され、城内に不和もあり、9月15日ついに開城した。
能登畠山氏の滅亡後は、七尾城は上杉氏前田氏が城主となるが、天正17年(1589)頃までに前田氏が小丸山城に拠点を移したことにより、廃城となった。

 

 桜馬場下から見た主郭部の石垣で、5段分かれて石垣が積み上げられています。
 桜馬場で、東西45メートル、南北25メートルの広さです。軍馬の長連を行った馬場と云われています。
 遊佐屋敷跡です。七尾城の中心部にあることから、城主に次ぐ守護代の遊佐氏の屋敷があったところだと云われています。
 遊佐屋敷から本丸へ登る石段です。右手に登り石垣が続き、左手は本丸に対する帯曲輪が石垣で造られています。
 本丸から見下ろした遊佐屋敷から本丸へ登る道です。石垣は、畠山氏〜前田氏の時代なのかはよく分からないそうです。
 本丸です。城の中心部分で、桜馬場、遊佐屋敷からなる城の中心部分です。本丸は東西50、南北40メートルの広さです。
この城からの眺めは大変良く、上杉謙信もその手紙で北陸第一の地だと絶賛しているようです。
 本丸から二の丸へ向かいます。
 写真は二の丸です。二の丸は尾根の分岐点に築かれ、周囲を沢山の曲輪が取り巻いています。七尾城の麓には城下町が出来ていたようです。
 写真は三の丸です。南北110、東西25メートルの広い郭で、二の丸とは深い堀切で仕切られていて、独立した曲輪になっています。
 三の丸下には「とよの水」と云われる枯れたことのない水源があります。写真は三の丸から引き帰るところから見る主郭郡の石垣です。

参考  現地説明板等  「日本の名城・古城もの知り事典」(監修小和田哲男 主婦と生活社) 

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