鳥越城

所在地  白山市三坂町  城の麓に道の駅「一向一揆の里」があります。
見学日  2009年9月12日 城跡は発掘調査に基づき復元整備されています。

 戦国時代の加賀国は、本願寺派一向一揆が金沢御堂を頂点として組織されていて、石山本願寺の領国のようであった。鳥越城は天文年間に加賀一向一揆の軍事拠点として、鈴木出羽守によって築かれたとされる。織田信長との石山合戦に備えて修築拡張が行われた。
天正8年(1580)4月、金沢御堂が陥落するが、なお一向一揆の集団は各地で抵抗した。その代表が「山内衆」でその拠点が鳥越城であった。
しかし、一度は織田軍の攻撃を退けたが、同年10月柴田勝家軍の猛攻に、鈴木出羽守が開城して降伏するも、一族とともに謀殺されました。
その後天正10年3月、再度蜂起した山内衆も、柴田勝家軍により鎮圧されました。

    駐車場へ車を置いて、から登って行きます。すぐに説明板があり、そこを進むと写真の後ろ二の丸と本丸が見えてきます。
切岸は写真のように急勾配で、空堀もあります。
    さらに道を進むと、後三の丸へ行く道が反対側にあります。
鳥越城の北端を占める後三の丸は、面積がもっと広い郭で、空堀によって守られています。
    本丸方向へさらに進むと、本丸の枡形門が石垣とともに見えてきます。後ろに見えるのが本丸門で、枡形虎口になっています。手前の枡形門は礎石のある高麗門の形式ですが、発掘調査でわかったのでしょうか。現地の門の説明文も高麗門となっていました。高麗門は新しい形式の門だと云われています。
    本丸の内側の門です。こちらの門は礎石のない、掘立柱の門です。またこの門は土塁の上に期の柵列を並べています。
    本丸の内部です。物置、拝殿、慰霊塔、井戸があったようです。発掘調査によると多数の礎石と柱穴が見つかったそうです。
    本丸内部の井戸と後ろの盛上がった所が望楼台跡です。
    中の丸を本丸側から見たところです。手前が復元された小屋とその奥が中の丸の門です。
    両側は土塁で、礎石の上に立っている門で中の丸門を外側から見たところです。
    二の丸内部です。この先には、堀切があり、三の丸があります。
    本丸のすぐ北にある後二の丸を、本丸から見たところです。手前にある空堀で本丸から切り離されています。
    本丸と後二の丸の間の空堀を底から見たところです。とても急な傾斜と堀底が狭いのが分かると思います。

参考  現地案内板等  「日本の名城・古城もの知り事典」(小和田哲男監修 主婦と生活社) 

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