海津(松代)城            

見学日 2001年7月8日見学 近畿日本歴史倶楽部ほか
所在地 長野市松代町

 戦国時代の川中島の合戦で名高い海津城です。武田信玄に命じられた、山本勘助が縄張りをして1560年頃に築城したと伝えられています。山本勘助はその実在がずっと疑われていた人ですが、市河文書の発見により実在がされると云われるようになりました。1622年に有名な真田幸村の兄である真田信之が城主となり、1711年には松代城と名称を改め、幕末まで続きました。
 2004年4月17日(土)に、本丸の中の建造物も復元されてリニューアルオープン(?)しました。早速、4月18日に見学してきました。当日は、現地のボランティアガイドの方に案内してもらって見学しました。


 写真は、復元された本丸の大手口である太鼓橋と太鼓門です。
 
 本丸は石垣で造られていますが、武田信玄時代の海津城は今の形とは違っていて、当然ながら石垣などはありませんでした。
有名な第4回目の川中島合戦も、この城の築城が原因の一つとなっていると同時にこの城も武田家の本陣になる等重要な位置を占めています。

 写真は、二の丸土塁にある埋門です。非常の場合は、門の入口を埋めて守りを固めたと云われます。
 以前に行った時には、本丸の石に一つずつ番号が振ってありましたので、なるべく当時の石を利用して再現しようとしているようです。

 写真は二の丸の土塁と新堀(北側)です。本丸は石垣造りですが、二の丸土塁で囲まれていました。この辺りは当時千曲川の河川敷になっていて、洪水により深刻な被害を度々受けたと云われます。その為千曲川を約700メートルも動かす大工事を行いました。

 再現された内堀にも水が入っています。築城当時はこのような平城は珍しいと思いますが、千曲川の流れや湿地帯が城の守りを固めていたものではないでしょうか?
 戌亥櫓台です。石の積み方は野面積みで勾配も急ではありません。本丸には三カ所の櫓台がありましたが、天守閣はありませんでした。

 写真は天守台方向から見たもので、建造物は北不開門(搦め手)です。 海津城(松代城)は、1995年から石垣や土塁などの整備工事を進めています。

参考 「城下町松代」(松代文化財ボランティアの会著 ほおずき書籍発行 2004年5月5日)1000円
    現地説明板等 ボランティアガイドの説明



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