伊賀上野城

所在地  伊賀市上野丸ノ内  本丸は公園となっている。
見学日  2010年8月2日 

 近世城郭として上野に城郭が築かれるのは、天正13年(1585)筒井定次です。筒井氏が築いた城は、三層の天守を持つ大坂方の城でした。やがて関ヶ原の戦いの後に、徳川家康は藤堂高虎を移封しました。藤堂高虎は大坂方との決戦を意識してこの城の大改修を行った。特に西側には大坂に備えるために防備を固くし、広大な高石垣をめぐらした。建築中の五層の天守閣は、慶長17年(1613)の大暴風雨で倒壊しました。大坂冬の陣と夏の陣で、徳川家康は勝利し、その後城郭の普請を禁止したため、天守閣は再建されなかった。

    南側から本丸へ登るところの本丸の石垣です。
    本丸の石垣上から見た本丸西側の高石垣です。
    高石垣から水堀を見下ろしたところです。本丸の上に登って一周しましたが、一つ一つの石が実に大きいのです。高石垣を築くためにはそれなりの大きさの石が必要なのでしょう。
    本丸の天守閣です。
昭和10年(1935)、故川崎克氏により建てられた復興天守(伊賀文化産業城)です。
    同じく天守閣です。
私は早朝6時頃に行きましたので、中には入っていません。
    本丸東側にある城代屋敷の虎口です。
藤堂藩の伊賀国の治世は、筒井時代の天守閣があったここに設けられた城代屋敷で政務が執り行われました。この場所が本丸でも一番高い所です。
城代職は代々藤堂采女が務めました。
    城代屋敷から本丸の北側に降りるところです。
発掘調査の結果、城代屋敷は、主に北側に公的な建物、南側に私的な建物(奥向き)がありました。
    上の写真の道を降りたところです。石垣の整備中でした。
    定番の高石垣を水堀から見たところです。8月と云う時期のため、石垣には雑草が多くちょっと残念でした。

参考  現地説明板等  「三重の山城ベスト50を歩く」(福井健二・武田憲治・中井均編 サンライズ出版)  

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