田丸城

所在地  玉城町田丸字城郭  玉城中学の裏山が城跡で城山公園となっています。
見学日  2010年8月1日  真夏に行ったのも関わらずよく遺構が整備されていました。 

 田丸城は南北朝時代に北畠親房が築いたと云われます。田丸城は南北朝時代には、両者の攻防の舞台となりました。室町時代には北畠氏の支城となり、伊勢支配の拠点となりました。
永禄12年(1569)、織田信長の南伊勢侵攻の結果、信長の次男信雄を北畠家の養子とします。天正3年(1575)、信雄は田丸城に大改修工事を行い、三層の天守閣を持った城になります。天正8年火災により天守以下主要部分を焼失してしまいます。
関ヶ原後には、稲葉直道が再び改修を行いますが、その後は紀州徳川領となり、久野氏が城代を置き明治に至ります。 

    玉城中学側から登って行く時に見えて来る、田丸城本丸です。
玉城中学のあるところは、城の三の丸でした。江戸時代には御殿がありました。
    本丸の虎口に入るところです。
    本丸虎口です。
ここから入る通路(大手口)は、平成14年度田丸城跡遊歩道整備工事に伴う発掘調査で確認されたものです。出土物から江戸時代のものと考えられています。
また、礎石建物と石垣は宝暦年間の古図とも一致しているそうです。
    本丸の石垣をまわります。写真のようによく整備された石垣が残っています。
真夏に行ったのですが、城跡を歩くのは不都合はありませんでした。
    本丸の石垣です。手前は本丸と二の丸の間の空堀です。
    本丸に登り、正面に見えるのは天守台です。
    天守台の石垣の上に行ったところです。
    二の丸の虎口です。二の丸も写真のようにしっかりと石垣が残っています。
    搦め手側の通路です。こちらは平成12年度の発掘調査に基づき整備されたもので、この通路は普段の登下城や物資の搬入に利用されていました。
出土物からは織田信雄の時代の修築であると考えられるそうです。

参考  現地説明板等  「三重の山城ベスト50を歩く」(福井健二・武田憲治・中井均編 サンライズ出版) 

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