平林城

所在地  村上市平林  平地の居館部分と山の要害部分に分かれていますが、要害は行っていません。
見学日  2011年7月2日 

 平林城は、鎌倉時代から戦国時代まで岩船郡南部に繁栄した豪族色部氏の本拠であった。南北朝の戦いでは、色部氏は北朝方で、在地豪族の平林氏は南朝方に味方していたため、色部氏はその居城の平林城を攻め落とし、その領地絵男占拠し、本拠を平林城に移したといわれる。
戦国時代には北越後屈指の国人層となった。越後守護代長尾為景の時代には、反為景派に属していたため、その本拠が陥落したこともあったが、その後長尾為景に属して、その後長尾景虎(後の上杉謙信)や景勝の時代にも有力国人として重きをなしていた。 

     越後上杉家の重臣色部氏の城としては、とても規模が大きい城です。
写真は、駐車場の近くから見た台地の西端にある三の丸です。平時の居館がこの台地上にあり、戦時には背後の要害山に詰めの城があります。
城の案内板を見て、詰めの城は時間の関係で諦めました。
   三の丸は旧根小屋とよばれ家臣の屋敷があったところでしょうか。
写真は三の丸の北側で、中央の少し凹んだように見えるところが北門です。
    この写真は三の丸の南門のところです。
    三の丸の中に入ったところで、土塁があります。
    三の丸と二の丸の間にある空堀です。この二の丸からは、要害山城へ続く道があります。
    二の丸の北には殿屋敷とよばれる本丸があります。本丸と二の丸の空堀です。
東側の空堀は、二の丸から本丸まで続いています。
本丸の虎口には、円形の木柱柱跡が見つかっています。
本丸の西北側には川が流れていて、かなりの高低差があります。

参考  現地説明板等、「日本城郭体系7」(新人物往来社)、「図説 中世の越後」(大家健著 野島出版) 

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