北条城

所在地  柏崎市北条  とても規模の大きい城でした。
見学日  2011年7月3日 

上杉謙信のもとで、関東へ出兵の際に活躍した北条(きたじょう)高広が勇将として有名な北条氏の本拠です。北条氏は毛利一族で、安芸の毛利氏と同族です。一時は武田信玄の調略にのり上杉謙信に背くが、後に降伏した。上杉氏の関東出兵には、厩橋城に在城して、上杉氏の関東代官として活躍します。
上杉謙信の死後、御舘の乱では息子の北条景広とともに上杉景虎派につき、その中心勢力となりますが、上杉景勝に敗れて亡くなります。この乱で、北条城も天正9年落城します。 

    北条城の南側の麓にある、専称寺の大手門です。この門は北条城の大手門を移築したものと伝わります。
専称寺は北条氏の菩提寺です。
ここからは「北条毛利いにしえロード」の案内板の通りに進みました。
    「北条毛利いにしえロード」の通りに進むと、途中に初代北条城主の毛利守時公の墓があります。鎌倉時代中期にここへ来たと云われます。
写真はそこを申し越し進んだところで、馬つなぎ場跡で、ここまでは馬で登れたところです。
    三の丸へ登る途中の坂は急な坂で「木落とし坂」と云われ、攻撃のために木材などを落とすようになっていたようです。三の丸の枡形です。三の丸はいくつかの曲輪に分かれていて、倉庫や兵士の居住する場所がありました。
    三の丸から二の丸へ行くところです。二の丸もいくつかの曲輪が集まっていて段差があります。二の丸と本丸との間は大きな空堀があります。
    本丸です。写真のように南北に細長い曲輪で、やはりいくつかの段差があり、北の端には碑があります
    本丸から見た大空堀です。
帰りは、城の東側の普廣寺へ行く方から降り、林道へ出ました。現地の案内板では普廣寺空の道が搦め手で、専称寺からの通が大手になっていますが、図説 中世の越後では逆になると考えています。

参考  現地説明板等  「図説 中世の越後」(大家健著 野島出版)  「上杉謙信大辞典」(花ヶ前盛明著 新人物往来社) 

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