村上城

見学日 2002年11月17日 当日はボランティアガイドの方に案内してもらいました。 2011年に再度行きました。
所在地 新潟県村上市

 村上城は本庄氏が室町時代に築いたのが始まりといわれる。戦国時代に阿賀北の有力豪族本庄繁長が「村上ようがい」として曲輪を築いています。本庄繁長は上杉謙信麾下の有力武将としても名高い。1568年村上勝頼が加賀小松より村上城主となり、石垣の近世城郭として整備を進めた。その後1618年に、新城主となった堀直竒によって更に大々的に拡張整備をし現在見られる姿になった。
 さて村上藩も、幕末の戊辰戦争が避けられませんでした。この時に町を戦火から救ったのは、村上藩の若き家老鳥居三十郎です。彼は、領内では戦わずに恭順派を残して、交戦派の藩士を引き連れ庄内国境で戦います。やがて会津藩も開城し、庄内藩も降伏をすることになってから新政府軍に降伏します。そうして戦後は交戦の反逆首謀者とされ、東京で斬首の裁きを受けます。藩の計らいで村上に帰り、菩提寺に於いて藩の責任を一身に負い切腹します(享年29才)。

 二の丸の東北方面を守る下渡門跡です。石垣と左右の堀跡が残っています。二の丸には城主の居館や政治を行う建物等がありました。下渡門には、かつては2棟の二重櫓が、河岸段丘を利用して建てられていました。
市内には、昔の武家屋敷なども残っていて、見学することが出来ます。
 村上城は臥牛山(135メートル)に築かれた平山城です。臥牛山は、お城山とも呼ばれ村上市民から親しまれています。城は山麓と山頂部分とに別れています。
写真は、お城山の登り道の「七曲がり」を登ったところにある、四ツ御門跡の石垣です。この門は四面からの出入りを可能とする、大変変わった建物でした。
 四つ御門を通って、本丸に向かう途中にあるのがこの鐘門跡です。両方の石垣上に多聞櫓があり、それを渡り櫓門で接続していました。
 写真右手前が出櫓で、後ろに見えるのが本丸の石垣です。出櫓の石垣は高く、その上には多聞櫓があり、本丸に向かう敵を横から攻撃出来るようになっています。
 本丸の天守台を本丸内から見たところです。本丸には出櫓の横を通り、黒門を通って冠木門から入ります。ここには三重の天守閣があったが、1667年に落雷によって焼失しその後は建てられませんでした。
本丸跡からは瓦1枚もが発見されないことから、本丸内の建物は瓦葺きの建物はなっかものとされている。気温の寒暖の差が激しかった為です。

参考 「別冊歴史読本 城を歩く」(中井均編集 新人物往来社)2003年2月12日
    「国指定史蹟 村上城」((財)村上城跡保存育英会発行)平成5年8月
    「武士道残照」(中島欣也著 恒文社)1990年8月20日
    現地説明板等、  

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