新発田城         

見学日 2001年8月3日 単独 その他2011年にも一度行きました。
所在地 新潟県新発田市

 室町時代より代々阿賀北衆の有力な豪族新発田氏の居城です。新発田氏は上杉謙信の死後の跡目争いでは上杉景勝側として活躍するが、その後織田信長と結んで上杉景勝に対抗します。しかしその後織田信長が本能寺の変で亡くなると、上杉景勝は豊臣秀吉と結びます。織田方に付いた新発田氏でしたが、今度は織田家を引き継いだ豊臣秀吉と上杉家が結んだことにより、新発田重家は宙に浮いた形になってしまいます。1587年上杉景勝によって攻め滅ぼされます。
上杉家が越後から会津へ転封してからは、溝口家が入り幕末まで続きます。戊辰戦争の際には奥羽越列藩同盟に加盟するも、新政府側に寝返る。新発田藩が新政府軍を新潟に上陸させることにより、新潟港を守っていた米沢藩を追い出し、これにより北越戊辰戦争は一気に新政府の攻勢に急展開します。

 新発田城二之丸隅櫓。腰回りがなまこ壁になっている。もとは、二之丸の北にあったが、昭和35年の解体修理の際に本丸鉄砲櫓跡に移されている。
重要文化財。
 こちらも腰回りがなまこ壁の表門。重要文化財。
 上の写真の表門の内部です。
 本丸の内側から二之丸隅櫓と本丸の土塁(手前左側)を見る。
 忠臣蔵で有名な堀部安兵衛は新発田出身で中山姓を名乗っていた時に、高田馬場の仇討ちを助けて名を上げます。その後赤穂藩士堀部家の養子になります。
新発田城の表門に近くに銅像があります。

参考 現地説明板等



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