荒砥城

所在地  長野県千曲市
見学日  2007年9月16日 歴史探偵倶楽部のツアーに参加
 

 

 荒砥城は大永4年(1524)、村上氏の一族の山田氏によって築かれたといわれる。天文20年(1551)村上方の砥石状の陥落頃に、荒砥城も武田方になり屋代氏の餅城となる。武田氏滅亡後は、一時期は織田信長の武将森長可の続城となるが、本能寺の変の後は上杉景勝が進出し、周辺の豪族による城番管理がされた。
天正11年(1583)城主屋代秀正は着く側家康に内応し、城に立てこもったが上杉方の猛攻により脱出する。城はその後廃城となった。
現在は城山史跡公園となり、建物や石垣土塁等が復元されている。大河ドラマ「風林火山」のロケ地ともなった。

    駐車場を登ると見えて来るのが写真の管理棟です。
    さらに登ると、二の丸の塀と見張り台の櫓が見えます。
    二の丸の入り口の矢倉門です。両側の石垣は平べったい石が使用されています。
    上の矢倉門を内側から見たところで、入ると直角に曲がることになります。しかも通路は守りやすくなるよう狭くしています。一応復元ですが、当時からこのようになっていたのかは分かりません。
    二の丸にある復元された兵舎です。説明板によれば、通常は麓の城野腰で生活していて、戦時に荒砥城に立てこもったようです。
    本丸の矢倉門です。本丸にはこの門の他に、館と兵舎が復元されています。戦いの時という非常時のためですので、両方の建物は大変小さいものです。
    本丸から二の丸の兵舎と見張り台を見たところです。千曲川を挟んで左手に見えるのが葛尾城のある山です。

参考  歴史探偵倶楽部(講師は外川淳氏)の当日配布資料  現地説明板等

城の目次へ戻る

トップへ戻る