有賀城

所在地  諏訪市有賀  歴史探偵倶楽部のツアーに参加
見学日  2011年6月18日

 承久年間に諏訪氏の一族有賀氏によって築かれたと伝えられています。その後有賀氏の居城となります。天文11年(1542)に武田氏の諏訪侵攻で、武田家に従属する。天文17年、上田原合戦に武田氏が敗れると、有賀氏は武田家に背き、小笠原氏に味方するも、武田家が勢力を盛り返すと、有賀氏は所領を没収される。天文18年、諏訪氏の重臣千野氏が有馬城主となる。慶長6年(1601)、諏訪氏の諏訪再封により、千野氏が有馬城主となる。一国一城令によって廃城となるが、藩内において要害として潜在的存続を維持する。 

    有賀城は諏訪湖の南東方向にあります。規模は小さい城ですが、遺構は良く残っている城です。
写真は主郭と二郭以下を断ちきっている大堀切です。尾根は二郭以下、三、四、五郭と北に曲輪が続きますが、この堀切で分断しています。
この堀切は、竪堀となって下に続きます。
    主郭南側は、高い土塁になっていますがその土塁の下部には写真のように2・3段の低い石積みになっています。
    主郭の西側の土塁の上から、主郭の南側の土塁を見たところです。
    主郭下の空堀を主郭の土塁上から見たところです。主郭の南側には腰曲輪があり、やはり堀切で遮断されています。
    写真は、竪堀です。
    二郭の土塁上から、二郭を見たところです。この曲輪に続いて、三、四、五郭と曲輪が続きます。
五郭の先にも曲輪と表示されていませんが階段状に小さな平場が続いています。
各曲輪は雑草なども無く整備されていました。

参考  現地説明板  当日配布の資料(講師は外川淳氏) 

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