牧之島城

所在地  信州新町牧之島  犀川が大きく蛇行するところにあります。川の中の島のような地形から牧之島と呼ばれたのでしょうか。
見学日  2010年9月21日 

 古くは、南北朝時代に香坂氏の牧城(館城)がありました。戦国時代に武田信玄が、築城に巧みな馬場信房に命じて、築城させたと云われます。馬場信房は城将となりますが、天正3年(1575)長篠戦いで戦死します。武田勝頼は馬場信房の子信春を城主とします。天正10年(1582)の織田信長軍の武田氏侵攻により馬場信春は殺され、牧之島城は織田家が領有します。織田信長が本能寺で討たれると、その後は上杉景勝がこの地を領有し家臣を置きます。
上杉家が会津へ入封された後しばらくして、松代に松平忠輝が入り牧之島には城代を置きました。松平忠輝改易後は、一国一条令にために廃城となりました。「信州の古城」(湯本軍一監修 郷土出版)よき書きました。 

    牧之島城は甲州流の築城方法を今日に伝えるもので、その特徴は本丸の大手虎口を守るこの三日月形の丸馬出です。三日月形の丸馬出の水堀と土塁が、良好に残っています。丸馬出の水堀を見ることが出来るのは、珍しいと思います。
    丸馬出から写真の木橋を渡り、本丸へ入ります。木橋の下は幅のある空堀になっています。
    木橋を入ったところ、千人枡といわれる隠れ枡形です。高く幅のある土塁を切って虎口を造っていますが、その入り口と、出口を小さくして枡形を形造っています。
    写真は本丸西側の土塁と、その手前にある井戸跡です。井戸は雑草に覆われていましたが、上の方は丸井川原石で出来ていました。雑草で中は見えませんでしたが、浅いようでした。
この地郭の土塁には、「馬場信房の城跡」の碑があります。
    本丸北側の枡形虎口です。写真の奥が本丸です。枡形ですが、手前の土塁はなかったのかも知れません。
    上の写真の橋を渡ると、二の丸です。
    二の丸・本丸の西側の間にある空堀です。深さはありませんが、幅はかなり広くなっています。
    さらに空堀はもうひとつ西側にあり、こちらの空堀もかなり広い空堀です。

参考  現地説明板等  「信州の古城」(湯本軍一監修 郷土出版) 

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