高梨館

所在地  中野市中野小舘
見学日  2010年9月21日 

 高梨舘は長野県で随一の保存状態の居館跡として知られています。またこの居館の詰めの城として、東に約1キロの山に鴨ヶ岳城があります。
16世紀初め、高梨政盛が小布施町から中野地方へ進出し、中野氏を滅ぼして本拠地としました。しかし孫の政頼の時に甲斐の武田信玄の侵攻を受け、越後の長尾景虎を頼り、越後へ退去した。この間館は、高梨氏の一族で武田方についた小島氏に渡った。
天正10年、武田・織田氏が滅ぶと、北信濃は上杉氏が支配し、高梨政頼の子の正親はこの居館へ入る。慶長3年(1598)、上杉氏の会津移封により、高梨氏も中野の地を去った。館は廃館となったと考えられます。しかし館は旧家臣らが明治維新まで代々守ってきました。 

    高梨館は、東西約130メートル、南北約100メートルの北信濃最大の方形館跡です。
写真は、館東側の空堀と木橋です。
    やはり館東側の土塁と空堀です。
南側の土塁の中から築地塀が確認され、土塁が築かれる前には築地塀が巡らされていたと思われます。
    発掘調査の結果、館の中には、12棟の建物跡が見つかっています。
写真は、庭園と池です。個人領主の館に館に庭園が残っているのは、全国的にも珍しいことです。高梨氏は京都の三条氏らと親交があり、京都の文化を取り入れ、京都の将軍の屋形をモデルにしたとみられる。
    東側の土塁の上です。庭園や建築物が確認された面の下にも何層かの遺構面が存在することから、この館は、高梨氏以前の領主によって造られ、高梨氏によって拡張・整備されたと考えられています。
    西側の土塁と空堀です。

参考  現地説明板等  「信州の古城」(湯本軍一監修 郷土出版社) 

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