小諸城

 見学日 2005年5月21日(土) 歴史探偵クラブ(講師は外川淳氏) 約30年前にも見学しています。
 所在地 長野県小諸市

 「小諸なる古城のほとり・・・」の島崎藤村の詩でもお馴染みの小諸城です。この城は、1487年頃大井氏が築いたのに始まります。その後戦国時代には、武田信玄がこの城を手に入れ、1543年(?)頃に本格的に改修したと云われます。武田氏滅亡後は、織田家の重臣滝川一益の所領となる。神流川の戦いに敗れた滝川一益は、この小諸城を通り、伊勢へ退却したと云われます。徳川家康の関東移封では、仙石氏が城主となり、城の規模を広げ近世城郭とします。江戸時代には城主は度々変わりますが、やがて1702年牧野氏が城主となり明治維新まで続きます。

 写真は工事中の大手門です。
大手門は、慶長18年の再建で、東日本の代表的な大手門と云われています。大手門のある場所は、懐古園から少し離れた位置にあり、信濃鉄道を挟んだ北側ににあります。この門は瓦門とも云われ、瓦は三河から運んだと云われます。
 写真は、三の門で、寄せ木造りの二層の櫓門(国指定重要文化財)です。門の正面にある懐古園の額の文字は徳川家達の書です。
三の門は、城跡の懐古園の入口になっています。1742年の洪水で流出し、1765年に再建されました。
 小諸城は城下町より低いところにあるため、穴城と云われますが、これは大変珍しいものです。千曲川に入り込む谷を、自然の堀として活用しています。
 写真は、二の丸のかなり大きな石を積んだ石垣です。この石垣は、昭和59年に新たに積み直したものです。
 二の丸と本丸の間にある深い堀です。小諸城は千曲川の河岸段丘に立地していますが、その河岸段丘を切り裂くように谷が何本も走っていますが、それらを堀として利用して城の防御に役立てています。
 写真は本丸の天守台とそれに続く本丸石垣です。石の積み方は古く、仙石氏が築いたものと思われます。
天守台には三重の天守閣があったが、1626年に落雷のために焼失し、その後は再建されませんでした。
 写真は、小諸本陣母屋です。
1611年に北国街道に「小諸宿」が設けられ、関東への出入口や参勤交代の大名が休泊しました。この建物は、18〜19世紀の建築ですが、明治11年に佐久市の桃源院に移築され、寺として使用されました。平成になり、建物一式が小諸市に寄贈され、現在の地に移築されました。

 参考 「信州の城と古戦場」(南原公平著 令文社 平成9年5月1日)
     当日配布の歴史探偵クラブの資料と講師の説明
     現地説明板等

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