松本城

見学日 2004年10月17日 5回ほど行っています。最近では2009年、2010年に行きました。
所在地 松本市丸の内

 現存天守閣12城のうちの一つが松本城の天守閣です。しかも水堀に映る現存天守閣の姿をはっきり見ることが出来るのは、ここだけだと思います。お城の整備も年々進んでいます。20010年に行った時には天守閣へ入る人が沢山いて行列が出来ていました。
1550年、武田信玄が中信小笠原長時の林城(松本市)を攻略して、ここに深志城を築きます。小笠原長時は信濃の村上義清を頼りその後は、越後の上杉謙信を頼ります。そのことが、後年の上杉謙信と武田信玄の川中島合戦の一因ともなりました。武田家の城代は、馬場美濃守でした。やがて武田氏が織田家によって滅ぼされると、小笠原貞慶が城主になり深志城を松本城と改名します。1590年石川数正が城主になり、城の大改修を始め、息子の時代に一応の完成を見ます。石川数正は、徳川家の重臣で外交を担当していましたが、1585年妻子郎党を率いて岡崎を出奔して、豊臣氏に走りました。
石川氏の後は、小笠原氏・戸田氏・松平氏など藩主は色々変わりますが、1726年戸田氏が入封されると幕末まで続きます。

 写真は三の丸の堀です。三の丸の堀は、城の東側の北寄りにその一部が残っています。三の丸は武家屋敷でした。三の丸にはいくつかの虎口がありましが、そのいずれもが丸馬出という半円形の馬出が虎口の外にありました。丸馬出は武田系の城に多くあり、武田系の城の特徴の一つになっています。戦国時代の武田氏の馬出を利用したものかも知れません。
 二の丸の東側にある太鼓門枡形虎口で、平成11年に発掘調査に基づいて復元されました。手前の道は石垣造りの土橋になっています。この門には城内の武士に時刻を知らせる太鼓があったことから、太鼓門と名付けられました。
 二の丸太鼓門枡形虎口の櫓門を内側から見たところです。
 写真は本丸の南側にある本丸黒門枡形虎口(平成元年に復元されたもの)です。写真の後ろに見える櫓門(枡形一の門)は、昭和35年に復元されたものです。本丸内には石川氏の時代には壮麗な御殿がありました。
 松本城の天守閣です。石川氏が造った天守の最上階は見晴らしが出来るような望楼式の天守でした。しかし寒さと強風のために回廊を板で覆い直したそうです。また天守の東側にある辰巳付櫓と月見櫓は1636年に増築されたものです。

参考文献 「名城を歩く7 松本城」(PHP研究所 平成15年6月1日)
       「松本城の歴史」(松本市立博物館 2001年2月8日)


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