信濃大島城

見学日 2004年12月4日 文化放送歴史探偵クラブ
所在地 長野県下伊那郡松川町

 鎌倉時代に大島氏によって築かれたと云われる。戦国時代には甲斐の武田氏が1554年に伊那郡に侵入して、飯田城に秋山信友を配し伊那谷を治めました。1571年武田氏は大島城を、東海地方への侵入拠点として改築整備します。天竜川沿いの河岸段丘に位置し、天竜川に面する城の後ろ側は絶壁となっている。しかし1581年、遠江の高天神城が徳川方によって落とされると、大島城は侵入拠点から信濃防衛の拠点となる。その為に武田信廉(信玄の弟)が城将として派遣される。この際にも城は改築され防備を固める。しかし1582年の織田軍の武田領への侵攻に際して、織田信忠に包囲されると、武田信廉は戦わずしてこの城を放棄して退却してしまう。 

 あまり整備されていないので、分かりにくいですが大島城の特徴である大きな丸馬出です。真ん中が少し盛り上がっているので、堀が2重になっているのが何とか分かるかと思います。丸馬出は半円形の形の馬出ですが、武田氏の築いた城の特徴になっています。
 本丸と二の丸の間にある大きな空堀です。右側が本丸で左側が二の丸です。空堀の先には井戸郭があります。
 本丸から見た二の丸です。本丸や二・三の丸には建物の跡の礎石や、陶磁器などが見つかっています。
 本丸にある看板です。信濃大島城は看板にあるとおりに「台城」とも云われています。

 参考にある本の「戦国の堅城」の表表紙・80・81ページには、この大島城の復元図が載っていますので見て下さい。この城の姿形が良く分かります。また82ページ以下の解説文は、この城の防備の特徴が説明されています。

参考 当日配布の資料や講師の説明
    「戦国の堅城」(学習研究社 2004年9月1日)
    現地説明板等 


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