高島城

 見学日 2003年4月19日 桜が満開でした。
 所在地 長野県諏訪市高島
1丁目

 高島城は、現在は陸地にありますが、昔は諏訪湖に浮かぶ湖城で諏訪の浮城と呼ばれていました。戦国時代には、この地方は諏訪氏が治めていました。しかし、1542年諏訪頼重の時に甲斐の武田信玄に滅ぼされ、以後は武田氏の支配に属します。その武田氏も、1582年織田氏によって滅ばされます。その2ヶ月後には、本能寺の変で織田信長が討たれると、領国になったばかりの信濃は混乱します。その混乱の中で、諏訪頼忠が立ち諏訪氏を再興します。諏訪氏は、やがて徳川氏に属することになります。豊臣秀吉の小田原攻めによって、徳川氏が関東に移封になると、諏訪氏も関東へ行きます。その後には、日根野高吉が入り、高島城を築きます。やがて関ヶ原の戦いの後に、再び諏訪氏が治めることになり、その後幕末(3万石)まで続きます。

 高島城は、明治になってから、本丸の石垣を残して取り壊されました。その後は公園として利用されていました。高島城の復興計画は何度かありましたが、昭和43年から石垣の修理を始めました。昭和45年春に天守閣、冠木門、角櫓、塀、庭園が造られました。
 写真は冠木門ですが、古い写真がない為に模擬の門となっている。主な材料は木材です。
 写真は、天守閣を内側から見たところです。鉄筋コンクリート造りですが、絵図と古い写真によって外観は当時の姿にしました。中は博物館になっています。
 高島城天守閣を、堀側からみたところです。天守閣は高さが、20.2メートル、延べ面積は381平方メートル、重量は約1200トンです。天守の屋根は瓦を使用せず、檜の薄い板を葺いてあった。
 写真は角櫓を内側から見たところです。角櫓も簡単な絵図があるだけで、古い写真もない為に模擬復興です。天守閣以外は木造で造られています。
 城の石垣は、今回の復元の為の修理の他に、1786年に大がかりな修理が行われています。

 参考 「諏訪 高島城」(今井広亀著 諏訪市教育委員会発行 昭和60年9月20日)
     現地説明板等

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