上田城

見学日 2006年9月23日 歴史探偵クラブで、その他にも3回位行っています
所在地 長野県上田市

 上田城は、天正11(1583)年真田昌幸が築城した平城です。この城は2度にわたる徳川軍の攻撃を受けますが、その攻撃に耐えた城としても有名です。真田氏は真田昌幸の父の真田幸隆の代に武田家に使え、頭角を現してきます。長篠の戦で、真田昌幸の兄の2人が戦死したため、養子に行っていた真田昌幸が真田家を継ぐことになりました。昌幸は武田家の滅亡の際及びその後の織田信長の死亡により、北条氏・徳川氏・上杉氏という大勢力の信濃での勢力争いの大変な時期を己の才覚で乗り切り生き残りました。
 関が原の合戦では、真田幸村の妻が大谷刑部の娘であったことや、徳川家と合わなかったことにより西軍に味方します。長男の真田信幸は徳川方の本多忠勝の娘を妻にしていたこともあり東軍に味方します。そのために徳川秀忠軍の攻撃を受けますが、何とか守りきり、その為に徳川秀忠率いる徳川家の本軍は関が原の合戦には間に合いませんでした。
 関が原の合戦後に上田城は取り壊されますが、その後仙石氏が上田城主となり、1626年から工事を始めて再建します。
  

 

 手前の橋が二の丸橋です。奥の石垣は二の丸の石垣ですが、石垣は直ぐに途切れて、土塁になります。
 二の丸を防御している空堀です。左側が二の丸になります。城の南側は、尼が淵と呼ばれる段丘になっていて、下には千曲川の分流が流れていました。
 上田城は、関が原後に徳川氏にとっては目障りな城であったため、徹底的に破壊されたようです。そのため現在見られる姿は、真田昌幸時代のものではなく、仙石氏時代のものと思われます。
写真の石垣は、北虎口です。
 東虎口前にある、本丸を守る水堀です。
 本丸の東虎口櫓門です。復元されています。平成6年2月に復元されました。東虎口には、北櫓と南櫓がありますが、それらは真田時代のものではなく、真田家の後に上田城主となった仙石氏が築いたものを移築したものです。
 東虎口の北櫓を本丸内から見たものです。この北櫓と南櫓は、払い下げられた後は、上田遊郭に移築されていました。昭和になってから廃業しその後、昭和17年に上田市が買い取り、24年に移築再建したものです。

参考 現地説明板等
    「郷土の歴史 上田城」(上田市立博物館編集・発行) 

 

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